遠山を望むが如く

しんちゃんの雑録

大相撲春場所で垣間見た日本社会の危うさ

2017-03-29 22:27:22 | 日記
大相撲春場所は,新横綱・稀勢の里の感動的な優勝で幕を閉じた。

稀勢の里は初日から12連勝で,1敗の照ノ富士以外の横綱・大関は負けが込んだり休場したりして,優勝争いはこの2人に絞られた。

13日目に,稀勢の里は日馬富士に敗れ,1敗で2人が並んだ。

そして14日目,照ノ富士が琴奨菊戦で立ち合い変化してあっけなく勝負が決まり,稀勢の里は前日に負ったケガのせいで全く力を出せず,鶴竜に対しあっけなく敗れた。

ブーイングとため息。

照ノ富士が稀勢の里に1差をつけて,迎えた千秋楽の直接対決。
今度は稀勢の里が立ち合い変化して,ケガをした左は使えずとも最後は土俵際ではたき込んで勝ち,優勝決定戦にもつれこんだ。
場内は拍手喝采で大盛り上がり。

ここで,私は違和感を覚えた。
なぜ,照ノ富士の変化は許されず,稀勢の里は許されるのか?

力士のひいきはあるだろう。
照ノ富士の相手が大関復帰のかかっていた琴奨菊であり,それを阻止した結果になったというのも理由になるのかもしれない。
しかし,立ち合いで変化してはならないというルールはないので,何が悪いのか,と思う。

横綱や大関のほか,将来を嘱望されている力士が変化すると,必ず非難される。
一方で,小兵力士が上手く変化して立ち回ると喝采を受ける。

つまり,前者は変化して欲しくない場面で変化するから非難されるのであり,後者は変化の次に出される技に期待しているから受容されるのである。

これは,見ている側のいわゆる「空気」というものに過ぎず,力士の星勘定には関係がない。

私が「危うい」と思っているのは,この「空気」の押しつけが,日本社会において近年顕著になっているのではないか,ということである。
「空気」を読めない者が攻撃され,排除される。
「空気」いう名の「国民の総意」が醸成されるのではないかと懸念している。

ルールにない解釈が「空気」によって込められる,あるいはルールが「空気」によってねじ曲げられることは,不公正である。
相撲の変化へのブーイングは,とりわけモンゴル人力士に対して多いような気がするが,それは日本人に似た風貌にもかかわらず日本人が共有する「空気」が読まれないからではないかと思っている。
外国に通用しない「日本人ルール」がはびこると,日本のことが理解されず国際的に孤立することにつながるため,危険である。

力のある力士によるぶつかり合いを期待するのなら,そのようなルールに改正すればよい。
例えば,同格以下の相手には立ち合い時に必ず相手の前面に当たらなければ反則負けとする,とか。
そうすれば,横綱は絶対に変化してはならないし,大関は横綱以外に変化してはならないということになる。

ポイント制でつまらなくなっていた柔道では,「有効」を廃止し「一本」を重視するルールに改正され,積極的に攻め合う試合展開や,観客への分かりやすさを目指している。
東京オリンピックでは見応えのある柔道が期待できそうだ。
ルールは変えてよいのである。

さて,春場所千秋楽の優勝決定戦,立ち合いで稀勢の里が照ノ富士にもろ差しを許した瞬間,ああ負けたと思ったが,寄られた土俵際での小手投げが見事に決まり,2場所連続の優勝が決まった。
真横綱・稀勢の里が誕生した瞬間であった。

同時に,勝ち急いだ照ノ富士と土俵際で技を出せた稀勢の里の力量差を感じた一番でもあった。

これから,稀勢の里は優勝回数をどれだけ伸ばせるか,照ノ富士は稀勢の里にどれだけ近づけるか。
来場所以降が楽しみである。
ジャンル:
相撲
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