こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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家族の苦しみ

2011-06-13 22:46:30 | 訪問看護、緩和ケア
長い介護の中で、多くの人が「生きていてほしい。」「出来るだけのことをしてあげたい。」と思います。
それは至極当たり前のことだし、そのためには医療者から勧められた処置を施し、小康状態を保てたことに安堵します。
その安堵の時間のなかで、家族との大切な時間を過ごすことが出来れば、それは本当に幸せな療養生活(介護生活)にもなります。

けれど、人は必ず死ななければなりません。


いつの頃からか、徐々に落ちていく体力、合併症の悪化、次々に起こる病状の変化。

出来ることはないのか、苦しむことはないのか、辛い治療はもうしたくないけれど、失いたくない。

どうすればいいのかわからず、このころは本当に苦しく辛い時間となります。

時に、自分のしてきた介護に後悔をしたりもします。
「あの時こうすればよかった。ああすればもっといい結果になったのに・・」

胃瘻や、気管切開や、IVHやあらゆる延命措置を行うかどうかの選択を強いられ、「生きていてほしい。」思いと「苦しませたくない。」思いの間で、葛藤して答えを探して、決定するのです。

それでも、あとからまた後悔したり、これでよかったと言い聞かせたり・・。

そんな苦しみを経て、お別れも近いあるとき、ふとこんな言葉を聞くことがあります。

「私、どうしても生きていてほしくて、随分と無理をさせてきたと思います。胃瘻もそうだし、こんな形で母は私のために無理やり生かされてきて・・。私の我儘で本当は辛い思いをさせているのかもしれません。」

今までも何度となく聴いてきた言葉です。
必死に生きるすべを模索してきたあとに、ふとそう思う・・。

そしてそのあと、ふっと肩の力が抜けて、次に目指すものが静かな穏やかな別れとなるのです。

必死に、ストイックなまでに献身的に介護をすればするほどに、その思いは強くなるのかもしれません。

訪問看護師たちは、今日もそんな家族の苦しみに添っています。

愛すればこそ、生きていてほしい。
生きていてほしいけれど、これ以上の苦しみは与えないでほしい。
生きている時間にこだわることが、今苦しみではないのか?

大きく揺れながら変化していく心を、要所要所でキャッチできるように、いつでも耳を傾けていたいですね。