心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

日本人のルーツ(10)

2013年01月15日 | 朝礼
朝礼 平成25年1月15日(火)

テーマ:日本以外はどうであったか? その5

今日は、雪まじりの寒い日ですが、あったかい部屋にいて仕事ができるのは幸せです。
でも、今年の冬は例年にくらべてずいぶん寒いような気がします。
現場でお仕事の方は、寒い中、おつかれさまです。


西洋の「神と人間と自然」の関係は、いかようなものだったのか。

1. なぜ、天上の神(一神教)が誕生したのか。紀元前数世紀ころ、エジプトやシリアが乾燥化したことを挙げている。それまで、森の中に棲み、森の神、地の神、大地に恵みをもたらす豊穣の神を信仰していた人々は、森がなくなり、彼らの居住地が砂漠化したために、天上の神に進むべき道を指し示してもらう必要が生じたからです。
2. 「天上の神」はどうしたか。それまでの森の中の信仰においては、自然はどちらかというと人間の上位に位置していたのに、ヤファエ神はそれとは逆に人間を自然の上位につけたということです。
3. 神が人間をつくるに当たって「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また、海の魚と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と祝福されたとされる。これは、キリスト教の世界において一番上に神がいて、その下に人間がいて、さらに下には管理されるべき自然がある、というヒエラルキー(階級制度)が存在するということです。
4.人間には自然を管理運営する義務と責任があるという考え方は、一般的にはスチュワードシップと呼ばれているが、キリスト教においては、人間が自然を管理運営するのは神によって委託された仕事である、と考えるわけです。
5. デカルトの「方法序説」の中にある「自然機械論」とフランシス・ベーコンの「自然征服論」
デカルトの「自然機械論」:自然は恐れるに足りない。自然は機械と同じである。機械には人間との相互の意思疎通などあり得ないし精神的な意味でも交流もない。人間が働きかけても彼らは何も返答しない。あるいは、それらがわれわれに何か働きかけてくることもない。その限りで、完全にわれわれが「主」であり、自然は「客」である。というようにデカルトは主客合一どころか、人間と自然を完全に分離して、人間は自然を機械と見なして、道具としてそれを利用すればよい、と断言したのです。
フランシス・ベーコン:「自然は物質に過ぎないのだから、人間の都合のいいように料理してよいし、征服すべき対象だ」だと言っています。
6. ヘレニズム(ギリシャ・ローマ)を手に入れた西洋人は、ベーコン、デカルトによる近代合理主義哲学の成立によって、自然に対する畏怖心を克服し、自然はたいしたことがない、人間の都合によってどのように料理してもいい、と考えられるようになりました。これによって自然に対するコンプレックスが西洋人から消えてなくなりました。これが西洋近代科学革命を成立させる最大の要因となったのです。
7.西洋人たちは自然を物質と見なすことができ、その結果、地球上のあらゆる自然資源を活用することで人間の生活水準を大幅に引き上げることができたのです。
8. 自然を人間の生活を向上させるために利用し、搾取するのが「進歩」なのだとする西洋的な価値観そのものに地球環境問題の根本的な原因があると考えられます。

と中谷 巌氏は指摘されております。

ここでは、西洋における神と人間と自然との関係が述べられています。

このように神と人間と自然の関係が明確なっていますね。このように秩序が示されると私たち人間はある意味では大変生きやすくなります。善悪の判断をしなければならない場面に遭遇しても迷うことがないからです。だからこそ、人類世界はここまで進歩したのだと思います。それと、人間固有の性質である意識が発達したともいえます。

このような教えがないと人はどうなるでしょうか?その時人はどうしてよいかわからず、心が押しつぶされてしまうか、お互いがお互いを排除しあって、人類という種の継続性はなかったと思っております。それほど、宗教などの生き方の関する共通認識は重要だと思います。

現代社会は、「自由」の名のもとに、宗教もすたれたり、反対に極端な原理主義に走ったり、それこそバラバラになっています。

宇宙をみましても、素粒子の世界を見ましても、一見混沌としているようですが、ちゃんと秩序だって運動しているのです。だから、太陽と地球がぶつからずにわれわれが生きていけるのです。

本来は、人間一人ひとりがしっかりしていて、自分の良心を磨いたり、他人のことを考えたり、自分がどのように行動すれば、社会がよくなるのかを考えることができるのなら、宗教、倫理、道徳、規則などはいりません。

人間は、弱い生き物であり都合のよい生き物ですので、宗教や小さな村の掟のように生まれたころから理屈なしにこうすると教えられるわけですね。そうするとそれに縛られる反面、とても生きやすくなります。

西洋人の「神と人間と自然」との関係と日本人との考え方には隔たりがありますが、どちらがよいということではなく、世界はこのような考え方で動いているということを認識することが重要だということです。

話は変わりますが、今日、中国で 「全軍に戦争への備え指示」という記事の見出しがでていましたが、中国がどこかの国から攻め込まれようとしているのではなく、積極的に他国の領土を力で奪い権力を増そうとしています。

この理由の一つとして、一番に挙げられるのは、国内統治の問題だと思います。国内でどこかの国を悪者に仕立て上げたり、他国が攻めてくるような錯覚を画策しないと国内を抑えられないのだと思います。中国のアキレス腱はそこだと思いますが、どうやらこの国には人格者としての調和という概念はないように思います。究極の利己主義ですね。
一定の宗教や昔からの掟や風習、伝統や文化などが途切れている共同体や国はこのように統治せざるを得ないのでしょう。

皆さまは、どう考え、どう行動されるでしょうか?





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