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自分の考えという愚かさ 池田blogコメント編

2008年12月16日 | 経済学
少し予定を変更して池田信夫blogのコメントが面白かったので

その1

ずるいインタビュー (文京区の在住)

2008-12-15 09:08:28

>―派遣法などの規制緩和を許し、不安定雇用を増やした責任は連合にもあるのでは?

>規制緩和を止められなかったという批判は受けざるを得ない。不安定雇用の人を最小限に抑えねばならないという雇用の原則を、強く主張し続けられなかったことについては、ざんげしたい。

派遣や契約の人が一番怒っているのは、正社員との格差・不平等。

不況で企業が弱ることは納得できても、正社員という立場だけで高給を守られている人も多いことに、非正規雇用の人は激怒している。

高度成長の終焉後、終身雇用を前提とした古い大企業型正社員雇用が維持できないことは連合も経営者側もわかっていた。この古い雇用体系を温存する目的で、両者が暗黙の了解で、非正規雇用という調整弁をつくったことは朝日新聞もよく知っているはず。なのに論点が微妙にすりかわっている。

その2

失対事業 (まさき)

2008-12-15 10:54:54

比較的まずい食事と居心地の悪い住環境を無償で無条件に用意するのと、その原資として公務員の給与を下げる(まあ、今の2/3の待遇でも楽なので辞めないでしょう。尚、解雇してはなりません----他で働かれると困るので)、生活保護への現金支出を減らす、これが究極の失業対策ではないかと思います。
働くことに意味はありません(価値を見出している人々もおられますが)。
自ら働かない、働けない、であっても真面目に働いている人々に比べ、恵まれない生活を保障することが社会の安定の為に国家がなすべき責務と考えております。

r>hahaさん (まさき)

2008-12-15 19:20:55

「現金」支出を減らすということであって支出を減らすなどと述べてはおりません。
従って、そのことにより「さらに世の中を陰鬱にする」というのは貴殿の誤解だと思います。
失業者と同じように、比較的まずい食事と居心地の悪い住環境を無償で現物提供(クーポンでもかまいません)するということです。
このことにより、パチンコやバクチや闇での自動車所有(本来生保者は車をもてないそうですが名義人を変えて所有している方もおられます)での現金支出を防げます。

hahaさん 深読み (まさき ひつこいですが)

2008-12-15 19:49:38

私はゲットー(悪い食住環境)を、正規・不正規を問わず(働く意欲)のある失業者の駆け込み寺として国の責任で作れということを言っているのです。。
が、無償・無条件であればおっしゃられるようにホームレス障害者」とか「累犯障害者」も対象となります。
が、地域の人目につくところに溢れかえるわけではありません。
このような制度は昔からあり、関東の人には理解しにくいかもしれませんが、今でも関西では一般的です。
但し、働く意欲のある方はゲットーは出来るだけ早く出て行けるようにがんばるし、戸籍をここに置くようなことはないので、旧来のとは本質的に異なります。

この二つのコメント、正反対で面白いね。ここのblogにはその2のような弱者保護否定論者がコメントによく沸くんだけど現在の状況や歴史を考えてみたらどうなんだろうって思うことがある。

現在の問題は、正社員と非正社員との格差だよね。つまり、強者を保護して、弱者を保護しなかったことだよね。その考えから、率直に出てきたのがその1のコメントだよね。特権階級と弱者との格差をなくそうと。

しかし、その2の人は考え方が違うみたいだ。現在の問題を保護したことによって人が怠けたのが問題だと考えているみたいだ。だから、一番下の人たちの保護を切り捨ててもっと厳しい状況に置こうと。

事後の正義でかわいそうな弱者を保護することが正しいかどうかはわからないしその方法によって成功したり失敗したりすると私は考えるけど今の現状で一番明らかなのは特権階級を保護することは間違っているということじゃないのかな?

だから、いろいろな考え方があって夜警国家のようなものを望んでいる人もいれば福祉国家を望んでいる人もいるだろうけど公平に考えれば弱いものを切り捨てて強いものを守るのは不公平だってことじゃないだろうか。

そういう意味で、正社員を同じように保護して年功序列で同じように賃金を上げていく特権階級内の平等は社会全体で見れば明らかに不平等だから問題だ。だから、それを平等だと考えることには反対することが重要だろう。

でも、それが本当の弱者で困っているのであれば助けてあげてもいいんじゃないだろうか。逆に、自分の考えと称して弱者保護に反対するのは平等と称して特権階級を保護するのと同じように傲慢なのではないだろうか。

ここで言いたいのは、低所得者や障害者のような本当の弱者に対する保護なら本来の平等の観点から見て妥当なものだからやり方を工夫する必要はあるかもしれないけどやろうとすることは間違ってないんじゃないかなってことだ。

逆に、自分の考えとして本来の平等から遠いものを主張したりあるいは、本来の平等に近いものを自分の考えによって否定するのは傲慢なのではないだろうか。