2023年6月10日(土)、中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」第3回 「織田信長初陣の地で家康伊賀越上陸地の三河大浜」へ行ってきました。
その様子を、数回にわたって紹介します。今回はその第2回。
大浜城、羽根城、大浜陣屋
動画から入りましょう。
はねじょう / はじょう(おおはまじんや)と読みます。
室町時代にあったのが大浜城。
信長の初陣で信長を破った松平家臣の長田氏の居城が羽根城。
そして、江戸時代に、このあたりを治める役所・大浜陣屋がありました。明和5年に水野忠友が一万三千石の領地をもらい大浜に陣屋を構えたのが始まり。その後大浜陣屋は沼津藩、菊間藩を経て、菊間県が額田県に統合され、その役目を終えました。
入り口です。
碑がありました。
菊間藩陣屋跡の碑です。
説明板です。
1768(明和5)年 水野忠友(若年寄)が三河に六千石(計一万三千石)の領地を得て大浜に陣屋を構える
1777(安永6)年 忠友は側用人になり七千石が加増され沼津に領地を得、沼津藩が成立
1869(明治2)年 明治維新で八代忠敬は上総菊間に移り、菊間藩大浜陣屋になる
1871(明治4)年 大浜騒動が起き役人藤岡薫の死、多数の死罪・投獄者がでた
水野忠友は、先祖に家康公の母於大の方、信濃松本7万石大名水野忠清がいます。
初代忠友と二代忠成は幕府勝手掛老中職を務めるなどし、1830(天保元)年三代忠義の代には五万石の大名になりました。
特に、水野忠成(みずの ただあきら)は、忠成は家斉から政治を委任されて幕政の責任者となり、文政小判の改鋳によって通貨発行益をもたらしデフレ不況から好景気へと引き上げました。
天保5年(1834年)2月、73歳で死去した。三男の忠義が跡を継ぎました。
この動画の、18分45秒から水野忠成が登場します。
史上空前の好景気を招いた人とされています。
化政文化を演出しました。
常行院(大浜陣屋移築門)
先ほど紹介した大浜陣屋にあった門を移築したものです。
かなり痛んでおり、10年もつかどうかはわかりません。
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碧南FWへ行ってきました -最終回-
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