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週刊 日本の100人 第53号 渋沢栄一

2019-09-02 05:25:32 | 歴史関連情報
週刊日本の100人 渋沢栄一

シリーズ第53号は渋沢栄一です。



今回は、実業界の父、というより日本資本主義の父、渋沢栄一です。

私が「お札の肖像画に最もふさわしい人は?」と尋ねられたときに答えたのが渋沢栄一です。

論語研究を基盤とした、「儲けとモラルは車の両輪、どっちかが外れたら車として成り立たない」という経済倫理思想が再評価され、中国や欧米でも注目されています。


まずは簡単に紹介します。

渋沢栄一(1840~1931年) 埼玉県の富農・藍玉製造農家に生まれました。青年期は尊皇攘夷思想に触れて家を出ますが、才気を買われ一橋慶喜に仕え、領内の産業振興と一橋家財政の強化を図りました。
パリの万国博覧会に参加する慶喜の弟、徳川昭武の随員(会計係)として渡欧し、ヨーロッパ各地でその社会経済制度や科学技術を見学したのが、その後の大きな力になります。

帰国後は大蔵省に出仕。パリで学んだ知識を生かして新貨条例・国立銀行条例などの諸制度改革を行い、日本に初めて合本組織(株式会社)を導入します。
退官後、1873年に日本最初の銀行、第一国立銀行を設立したのをはじめ、道徳経済合一説を唱え、東京証券取引所・王子製紙・大阪紡績・東京瓦斯など470社近い企業の創設にかかわり日本経済の礎を築きました。

晩年は「論語」の研究に心血を注ぎ、社会・文化・教育の幅広い分野で、日本赤十字社などの設立など、社会公共事業に尽力し、関わった社会事業は600に上ると言われています。
民間経済外交も積極的に展開しましたが、死後、満州事変が始まるのでした。

まさに傑物。

P・F・ドラッカーは、「渋沢は思想家としても行動家としても一流である」と称賛しています。

実行力と哲学・教養が備わっていた彼のような人こそが、今後の日本にも、そして中国のような経済大国にも必要な人材です。

もっと見直されてもよい人です。


目次です。

特集 渋沢栄一
 私利と公益というものとは、決して別物ではない

ライフ&タイム
 近代日本経済を育てた実業界の父の91年
  時代に翻弄される若き日/フランスで目覚めた資本主義
  新国家づくりに力量発揮/日本経済をプロデュース
  社会事業にささげた晩年

ヒューマンエピソード
 情理を兼ね備えた経済界のリーダー

クローズアップ
 銀行設立で目指した経済立国への道のり

人物スクランブル
 渋沢栄一 人物相関図
  三野村利左衛門/松平定信/蒋介石/渋沢敬三
  後世への遺産国際通信社、田園調布……公益の理念が生んだもの

評伝アラカルト
 渋沢栄一考
  白洲正子/尾崎行雄/ピーター・ドラッカー
  小島直記/山路愛山/浅野総一郎

ビジュアル人物事典
 雪舟/銭屋五兵衛/千家元麿/千 利休
 千姫/宗祇/副島種臣/蘇我入鹿

日本の100人ミュージアム



参考文献 『論語と算盤』 『論語講義』

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