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週刊 日本の100人 第46号 徳川 綱吉

2019-08-26 05:26:19 | 歴史関連情報
週刊日本の100人  徳川 綱吉

シリーズ第46号は 徳川 綱吉です。



 徳川 綱吉は、江戸幕府第五代将軍です。生没年(1680-1709)
 三代将軍家光の四男で、母は京堀川の八百屋お玉(桂昌院)。
 5歳で上州館林藩主となり、兄の四代将軍家綱に世嗣がなかったことから、老中・堀田正俊の意見により、その養子に迎えられ将軍となりました。

「生類憐れみの令」と呼ばれる動物愛護のための諸法令を定めたことで有名で悪評が高いのですが、私は、むしろ、日本を大きく変えた、ある意味天才肌の政治家だったと評価しています。

 日本の歴史の中で、人の命の価値を最も高めたのは、この綱吉ではなかったかと思うのです。

 YAHOO!知恵袋に次の回答がありました。

「綱吉は名君か?」から一部引用します。

官吏の不正取締、官吏の給与カット、自身の生活費の節約など、
様々な政策を行ったことで立て直します。

さらに、それまで当り前だった刃傷沙汰や、私怨による仇討を禁止し、
儒学を奨励し、民衆の学力向上のため寺子屋教育の基礎を作ったため、
民衆の識字率は向上し、文化面でも近松門左衛門や井原西鶴ら、
文化人を政治的にサポートしました。

また、老人や子供に対する福祉政策に力を入れ、
富士山噴火による救護活動や、勅額大火後の防災組織の構築、
などでも手腕を発揮しました。

悪名高い『生類憐れみの令』も福祉政策の一環であるとともに、
当時の隠れキリシタン達の主食が肉食(主に犬、馬)などであったため、
肉食を禁止させる(禁キリストの主観から)という意味合いもありました。

「柳沢吉保」の当時の日記では、『生類憐れみの令』は、
儒学的パフォーマンスとしての法令であると記されており、
実際に犬が優遇された例は少ないようです。
(これらの考察は山室 恭子らの論文&著書を読むと良く分かります)

また、他の皆さんのおっしゃる通り、当時、蘭医学者として来日していた、
ドイツ人医師「エンゲルベルト・ケンペル」が記した「日本史」には、
「綱吉」が非常な名君であるとされています。
  

私もそう思います。
死後、新井白石らによる綱吉を中傷する文書が多数書かれ、それが通説になってしまったのです。
綱吉の名誉回復のために、私もいろいろな場で紹介していきます。 


■特集
 徳川綱吉
  民は上へ遠きゆへに疑有ものなり

■ライフ&タイム
 乱世の風潮を一新した「犬公方」の63年
 将軍末弟の気楽な大名時代/偶然重なり5代将軍就任へ
 斬新な政策の専制君主/儒学で目指す健全社会
 災禍と苦悩の寂しき晩年

■ヒューマンエピソード
 己の考えで暴走する偏執体質の独裁者

■クローズアップ
 徳川幕府最大の悪法?「生類憐れみの令」とは

■人物スクランブル
 徳川綱吉 人物相関図
  エンゲルベルト・ケンペル/隆光/林 鳳岡/徳川光圀

■後世への遺産
 独裁将軍がもたらした能、学問、泰平の時代……

■評伝アラカルト
 徳川綱吉考
  山室恭子/大石慎三郎/羽仁 進
  伊達綱村/戸田茂睡/高野 澄

■ビジュアル人物事典
 三条実美/三条西実隆/山東京伝/三遊亭円朝
 椎名悦三郎/志賀直哉/式亭三馬/重光 葵

■日本の100人ミュージアム


このシリーズでの100人は・・・
織田信長
徳川家康
豊臣秀吉
坂本竜馬
伊達政宗
平清盛
勝海舟
真田幸村
源 義経
武田信玄
西郷隆盛
明智光秀
上杉謙信
石田三成
徳川家光
前田利家
高杉晋作
徳川慶喜
聖徳太子
徳川吉宗
近藤勇
黒田官兵衛
足利尊氏
吉田松陰
空海
大久保利通
東郷平八郎
徳川光圀
東条英機
北条早雲
山内一豊
土方歳三
田中角栄
福沢諭吉
宮本武蔵
加藤清正
毛利元就
吉田茂
源頼朝
山本五十六
直江兼続
平賀源内
伊藤博文
松尾芭蕉
白州次郎
徳川綱吉
千利休
細川幽斎
大石内蔵助
木戸孝允
島津義弘
足利義満
渋沢栄一
井伊直弼
大友宗麟
福島正則
松下幸之助
伊能忠敬
板垣退助
後醍醐天皇
平将門
乃木希典
南方熊楠
大隈重信
日蓮
ジョン万次郎
野口英世
大村益次郎
山本勘助
田沼意次
松平容保
菅原道真
北条時宗
藤堂高虎
榎本武揚
島津斉彬
二宮金次郎
後藤新平
手塚治虫
岩崎弥太郎
本田宗一郎
親鸞
津田梅子
藤原道長
山田長政
上杉鷹山
原敬
森鴎外
葛飾北斎
岩倉具視
芥川龍之
新渡戸稲造
犬養毅
黒澤明
日野富子
豊臣秀長
今川義元
本居宣長
高橋是清
夏目漱石

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