連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

いじめ

2015-07-19 21:19:36 | 日記・エッセイ・コラム
【名指しと必然性】ソール A.クリブキ 著 を読み始めた直後に 岩手中2自殺が報道された。

いじめの対象として名指しをされた。

いじめ対象としての必然性は、いい加減で、無に等しかったのではないだろうか。

発端加害者は、いじめ対象の名指し、固定化を普遍化し、加害者仲間の増加、獲得の理由づけとした。

いじめる側といじめられる側の両者だけで、他からの介入がなかったらば、結果は必然的に弱者が倒れるまで続くだろうことは必然。

今回も、過去にも、気づきのチャンスは、気づく側のセンスで無となり、
名指しをされたいじめを受けた一人が自死を選択し世を去った。

”Naming and Necessity” ー様相の形而上学と心身問題ー

プリンストン大学の哲学の講義録の訳書。
堂々巡りにならずに考える視点をもらった気がする。 
ジャンル:
ウェブログ
コメント (1)   この記事についてブログを書く
« 認識力、見解の差? いじめ... | トップ | うなぎ »
最近の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あっこ)
2015-12-04 09:41:10
争い事は弱者や少数派が去るしかありません。齋藤先生、あなたはご自分は何者だと思いますか?
あなたの好き嫌いで傷付き、苦しんだ人間があなたのブログを読んでいる事をお忘れなく。あなたは常に加害者でしたよ。加害者と言うと語弊があるかもしれません。支配者でしょうか。小さな世界の小さな支配者。

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事