日本男性解放講座

日本の男女の関係性を外国とくに欧米とのそれと比較しかんがえてみる。たとえば、財布の紐をにぎるのは誰か、といった問題など。

不倫「神対応というけれど」

2018-02-01 10:37:07 | 評論と時事ネタ
 テレビで時折見かける女優の藤吉久美子。ずい分太ったなあ、と思っていたら不倫報道。「週刊文春」の取材は徹底していて逃れようもない。「文春」から報告受けた夫、太川陽介、途中で「聞きたくない」とさえぎるのも哀れ。夫の不倫を聞いて妻がいうなら分かるが。その後、「文春」への電話で「(不倫を否定する)妻を信じる」と。太川陽介は好青年。しかし心の中はズタズタだろう。彼の対応をメディアは「神対応」という。しかし神様によりけり。旧約聖書の神様だったらきびしい。「汝姦淫するなかれ。姦淫(つまり不倫)をしたら石打ちの刑。いまでもイスラム圏の一部ではそうしてる所があるしムチ打ち刑もある。
 カトリックの国イタリアでは不倫を犯した女性は墓石にもそのことを刻まれた。アメリカ、テキサス州では1960年頃まで、不倫をした妻を夫が殺害しても罪に問われなかったという。そういえば、ロックでもカントリーでもうら切った女性を殺す、という歌がけっこうある。ニール・ヤングの「Down By the River]、ジョニー・キャッシュの「Cocaine Blues]もたしかそうだったと思う。女性週刊誌が太川を「亭主関白だった」と書いている。しかし、食事の時間、寝る時間、を一緒にする。外食メニューは彼が決める。このどこが「関白」か。亭主関白だったら結婚時に芸能界引退させていただろう。欠くべからざる女優でもないし──。
 太川君のすべきことは離婚してけじめをつけることだったのじゃないかな。悪妻は100年の不作という。でないと、路線バスでも「妻を寝とられた男」のイメージがつきまとう。


夫の出世も家事育児の分担も求める妻たち

2017-09-20 09:13:46 | 評論と時事ネタ
「男性の育児参加が進むなか、病弊する『イクメン』が増加中だ」で始まる「朝日新聞」9月4日2017年、「心を病む『イクメン』」の特集記事。
 当然、予想されたことではある。男性の先進国で最長の労働時間は減るどころか増えているにも関わらず、「朝日」を始め主要メディアはあげて「男の家事・育児参加」を叫ぶ。これが男たちに対して大へんなプレッシャーになっていることは間違いない。仕事、育児、家事を「さわやかに」こなす男性が登場したりすればなおさらだ。
「朝日」の記事は2例あげている。30代の夫。長女が生まれた時からイクメン。家事、食事、おむつ「一通り何でもできる」。当時は課長職。午後6時には帰宅できた。妻も仕事を持ち夫と同じくらい稼いでいて「対等な夫婦関係を求めた。家事、育児の分担も平等と決め、実際にそうしていた」。2人目が生まれた頃、男は部長に昇進。4つの課を束ね、責任は一気に増した。帰宅は夜10時が普通になる。妻には「全然手伝えなくてごめん」と頭を下げ続けた。そのうちささいなことでけんか。「離婚」の話も出てきた。やがて男は体調をくずし「うつ病」になる。
 もう一例は39歳の弁護士。妻と4,2才の子。妻も専門職。家事、育児は分担。男性は「うつ病」一歩手前まで行く。
「男も家事・育児を」の記事でよく出てくるのが、日本男性と欧米男性の家事・育児時間の比較グラフ。日本の男は常に最低。これが強いプレッシャーになる。作家でさえ「日本の男の育児参加時間は世界最低だが~」と書いたりする。
「数字はウソをつかない、しかしペテン師は必ず数字を使う」という諺がある。欧米と比較して日本男性の家事・育児時間が最低という数字、これは事実。では、家事・育児をしない分、日本の男は遊んでいるのか?ちがう。働いているのだ。先日、テレビで観たアマゾン奥地の原住民。重労働、家事、育児はすべて女たち。男たちはおしゃれとさまざまな儀式に余念がない。これは全く不公平。男たちは考えを改めるべきだろう。
 日本の男たちは先進国で最も長い時間働いていて「カローシ」すでにOXFORD辞典に入っている。つまり、家事、育児時間だけで比較するのがトリックでありペテン(のつもりはないだろうが)なのだ。「物事はトータルにみる」という原則が無視されている。定時に帰れる欧米男性と残業あたり前の日本男性を比べるのは乱暴な話。しかし、「論理」を持たない日本男性はこうした数字を見せられると、長時間労働も忘れて罪悪感を持ってしまうのだ。世界の男女問題に詳しい川口ユディさんは、日本では共働きといってもたいてい、男の方が長時間勤務なんだから、女が家事、育児をすべきだと言う。至極当然のこと。
 記事の最初の例。部長に昇進し、帰宅は夜10時になる。家事、育児ができなくて妻に謝り続けた、というのがおかしい。家族のために働いているのである。謝る理由はまったくない。妻が察して「あなた、たいへんだからいいわよ」と言うべきではないか。それとも昇進しない方がよかったのか。我国を代表するフェミニスト、上野千鶴子さんが書いている。「『オレ、会社から定時に帰って、家事も育児もする。その代り、出世はあきらめてくれ』と言ったら、どれほど多くの妻たちが失望するだろう」。先程の弁護士は言う。「男も家事・育児をするべきだという国潮が強まっている。一方で、男が大黒柱という考えは根強く、女性も(男性に)稼ぎを求める傾向がある」。人間、両方はできない。しかし日本女性はスーパーマンを求めているかのようだ。この傾向は80年代の若い女性のアンケート結果にも表れていた。将来の夫は「出世してほしい」、家事、育児は「分担したい」。「NHKスペシャル」の仕事で来日中に知り合ったイギリス人女性ジャーナリスト、シャーリー・ブースさんにこのアンケート結果を知らせたら、「いかにも日本女性らしい。夫を人間とはみていないのでしょう」と返事に書いてあった。


















 














不倫:ダイアナとチャールズ

2017-09-11 18:36:07 | 評論と時事ネタ
 不倫といえば、極めて残酷な不倫があった。結婚前からの人妻との不倫を結婚後も継続していた男がいた。誰あろう、イギリスのチャールズ皇太子。まず、彼は「女たらし」(womanizer)であった。側近によると、「彼は本当に女好きで、誰かを好きになると、それまでの恋人を簡単に捨ててしまうのです」。日本だったら考えられない。行動も自由なのだろう。「皇太子としての責任」どころか、それをブランドに勝手し放題。ヨーロッパの王族男子は多かれ少なかれそうなのかもしれない。それにしても母親たるエリザベス女王は息子の行状を注意しなかったのか。
 その一方、チャールズの結婚相手の条件は「プロテスタントでかつ処女であること」というのだから勝手というか┉┉┉。
 女性を次々と変えたチャールズがずっと「愛し」続けたのが例のカミラ夫人。夫人なのだから、これは不倫。カミラという愛人がいながらチャールズはダイアナにプロポーズ。周囲はみな、チャールズとカミラのことを知っていた。知らなかったのはダイアナ一人。誰もチャールズに意見すらしなかったらしい。そして結婚の当日、ダイアナはチャールズからカミラの存在を知らされる。しかも「別れるつもりはない」と。結婚式にはカミラも出席していた。世界中が祝福したロイヤル・ウェディング。しかしダイアナは絶望のどん底にいたわけだ。
 当然のことだが、この不正常な関係はダイアナの心身をむしばんでいく┉┉┉。
 ダイアナは、自分が外出すればカミラが裏口から入ってくるのを知った。
 それにしても不可解なのはエリザベス女王。息子を叱りつけてカミラと別れろ、ダイアナを大事にしろ、というべきではなかったのか。あるいはチャールズとカミラを呼びつけ二人に別れるよう厳命する。何とでもできたはずだ。
 「最後まであなたを守る」と日本の皇太子は雅子さんにいった。彼にとっては唯一の女性。何たる違い!
 チャールズとは?カミラとは?その夫は?そして女王は?次から次と疑問がわく。
(NHKBS「世界のドキュメンタリー『ダイアナ姫とエリザベス女王』2017年5月、同「アナザー・ストーリー、ダイアナ最後の恋」2017年8月を参照〉

不倫について(2) クリント・イーストウッド、ウディ・アレン

2017-05-19 09:02:58 | 評論と時事ネタ
 もし、今回の渡辺謙の不倫について、ハリウッドでの謙の「師」、クリント・イーストウッドがコメントを求められたら、それこそミッテラン同様「それがどうした」」で終わりだろう。なにせ、イーストウッド、妻子を顧みることなく共演女優と次々と関係、ときに同棲、女優のサンドラ・ロックなどは2度に渡り中絶までさせられている。別れるに際し、彼女が慰謝料を請求すると
「フザケルナ!オレの名声のおかげでどれほど得をしたと思っているんだ。その上、金まで要求するのか!」と一喝。
 日本だったら疑いもなく「女性の敵」の烙印をおされるところ。しかし、イーストウッドの名声はいささかも揺るぎない(どうやらあちらには「手切れ金」という習慣はないらしい)。
 才人として知られる俳優、監督のウディ・アレン。アレンは一時期、女優のミア・ファーローと結婚していた。彼女は人道主義者で多くの孤児を引きとり養子にしていた。ところがこともあろうに、ウディはそのうちの韓国系の少女と関係してしまう。血のつながりはないとはいえ、法的には父と娘。とんでもない不倫。しかしウディは関係を認めた上で「何ら恥ずかしいことはしていない」と開き直る始末。二重の意味で裏切られたミア・ファーローは深く傷つきウディの下を去った。いま、ウディはその少女を妻にしている。ウディはその後、ほされることもなく活躍を続け、日本でも今公開されている新作がヒットしていることは御案内の通り。


不倫について(1)

2017-05-12 11:05:25 | 評論と時事ネタ
 「解放講座」のメインテーマは「財布の紐を握るのは誰か?」だが、折から話題の「女子力」暫く頁をさいた(も少し続くが)、そこへ芸能人の「不倫報道」がかまびすしいので、これも少しとりあげる。「解放講座」と無縁ともいえぬので。
 俳優の石田純一は不倫が発覚したとき謝罪をしないで「不倫は文化だ」と言ったため、以来
「仕事がすっかりこなくなった」
 彼がいわんとしたところはこうだろう。古今東西の文学者、芸術家、思想家の多くが不倫を経験している。その不倫が創作のエネルギーになることさえある。彼のリヒャルト・ワグナーは大作「トリスタンとイゾルデ」にとりくんでいるとき大不倫のまっさい中(この作品自体、不倫の物語)。もっとも芸能レポーターたちには通じなかっただろうが。
 売れっ子の脚本家ジェームス三木は、妻が彼のかつてのさまざまな不倫を暴露したため、「三年間仕事が来なくなった」。本業はもちろん、講演予定もすべてキャンセル。NHKテレビである大物歌手の追悼番組を制作。親しかった三木も思い出を語ったのだが、驚くことに放映時には三木の部分はすべて削除されていた。その後、NHKの大河ドラマから声がかかり息を吹き返す。
 俳優の国広富之は好感度抜群で日の出の勢いだった。ところがハワイで婚約者とは別の女性といたことが発覚(後に全くのヌレギヌと解るのだが)、たちまちほされスター街道からころげおちる。(「トミーとマツ」で共演した松崎しげるがガンガンうれてるのとは対照的。国広は清潔なイメージだった分、たたかれたのだろう)。
 不倫はメディアに関する限りこの国では男に厳しいという印象を受ける。それはこの「男社会」には「男のけじめ」「男としての責任」という男をしばるモラルがあるからではないだろうか。

 イスラム国の中には地域によっては、宗教警察なるものがあって、ベールを被らぬ女性とか、婚前交渉したカップルなどを摘発、ムチ打ちの刑にしたりする。我国では「週刊文春」が著名人の「不倫摘発警察」みたいになっている。あちらはイスラム教が根拠だが、「文春」は何を根拠に不倫はケシカラン。となるのか、知りたいと思う。宗教ではないし──。キリスト教国でも不倫はごまんとある。カトリックの国、フランスでは婚外交渉は彼らの文化とまでいわれているそうな。かつて、ミッテランが記者に「隠し子がいるそうだが」と問われ、「それがどうした」と返して終わったのは有名な話。閣僚で愛人のいない方が少ないというくらい。
 で、今回の「文春砲」の標的は俳優の渡辺謙。かねてから、彼ほどの俳優が妻ひとすじというのも野次馬的にはおもしろくないと思っていた(その妻たるやすごくジミーな人)。そこへ不倫報道。さてはハリウッドの美女か、と思いきや、大阪ミナミのナンバーワンホステスというのでいささかがっかり。