アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

好きだった人を数えてみた

2008年12月06日 16時24分00秒 | Weblog
 老人介護の現場で、昔のことを思い出すことをしているらしい。だからということと、好きだった人を整理するのも面白いか、と、好きだった人リストを作成した。
 最初に思い出す女の子は小学校1年になる。恋心なんてものはなかったと思うが、思い出すので最初に書く。しかし、苗字が思い出せない。逆のケースもある。ただ、これは結構いい。というのは、空白をみて、この頃はどうだったのか、誰を好きだったのか、そんなことを考えるのは結構幸せな時間になる。仕事で辿ると、気分が滅入る場合もあるが、好きだった人の場合、振られたとしても、好きだったところを考えて、滅入ることはない。
 今、どこで、どんな生活をしているんだろう、好きだった人達は。

天皇陛下、ゆっくりご休養を

2008年12月03日 22時12分38秒 | Weblog
 大変な立場なんだ。高齢を思いやることができない連中が多い上に、責任感が強い。来年が即位20年、結婚50年とのこと。結婚50年は、素晴らしい。ベストカップルの50年は、祝いたい。どうか、公務は息子にやらせて、ゆっくり休んで下さい。仮病を使ってでも、休んで下さい。

防災避難訓練の不思議

2008年12月02日 21時45分50秒 | Weblog
 学校で毎年避難訓練がある。避難が終わって、消防署の人が避難について講評するけれど、「この前小学校でやりましたが、小学生の方がはるかに機敏です。皆さんは焼け死んでいます」という調子のもの。
 あらかじめ靴を教室に持ち込み、決められた避難経路で「避難」してという計画に時々クレームが出る。実際はそんなことはないから、靴を持ち込むのはリアリティがないではないか!というもの。スリッパで避難してリアリティが出るものか。だったら、訓練の日時を知らせないことだ。
 避難訓練の後、小火器の使い方を経験する。これが、風の具合によっては、消火器の「煙」で「避難」する生徒が出たりする。こっちの避難の方がはるかにリアリティがある。ただ、これもよく考えれば、消火器だけでなく、他の方法、たとえばバケツの水をかけるとか、そういうことをした方がいいのではないか。
 学校も消防署も「やりました」という「消化」のためではないかと思う。毎年「もっと工夫しましょう」と言い続けてきたが、受け入れられたことがない。
 感覚の部分に訴え、その訓練が大切だったと実感できるにはどうすればいいか。それを考えるべきだ。毎年同じ繰り返し。小学校からやっていれば、高校生が「あたかよ、ウゼエ」と思うのももっともだろう。屋上から「避難滑り台」(正式名称は知らない)で一回生徒全員に滑らせればいい。それは、どかのホテルに泊まっている時に火事になって、そういうので避難する時に「一度やった」ことが生きてくるのではないのか。
 避難訓練が非難訓練になった。ともかく、「繰り返し」の場から「経験」の場にするために、工夫は要ることは確かだ。間違いない。

タイミングが悪すぎる

2008年12月02日 18時41分35秒 | Weblog
 トヨタが一部生産ラインを止めるというニュースの後に道路族議員の決起集会のニュース。車の購入がガクンと落ちているのに、道路をつくろうよいうのは余りにトンチンカンではないか。
 こういう状況なのだから、道路を我慢して、それを別の方に回すというのならわかる。今国民が切実に求めているものは何か。その辺を考慮するってことはしないのだろうか。呆れた人達だ。