迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

宗教は救われるために存在するのではないのか?

2007年06月20日 | 社会
宗教というのは人が生きるために必要とするものなんじゃないのかな。
そう考えると、輸血などの必要な治療を受けることを否定することがよくわからない。
輸血を受けず母親が死んでしまったことで、生まれてきた子供が受けることになる困難や不都合のことは、考慮しないということなのか。
今回、輸血拒否の判断をしたのは母親自身なのだから、自分が死んでしまうのは納得してのことだからどうでもいい。
考えなくちゃいけないのは、生まれたばかりの子供が残されるということ。
そんな大事なことを考えないという宗教はどうなのか。

最後に、病院や医師が輸血をしなかったことを批判するのは間違いですから。
誰もが救える命を見殺しにしたいと思うはずはない。
でも、本人が望んでいることであり、その意思に反して輸血をすると訴えられてしまい、敗訴する可能性が高いのに、それでも輸血をしろとは言えないでしょう。

エホバの証人と聞くと、昔聞いたこのエピソードを思い出します。
あるお宅にエホバの証人が子連れで勧誘に来たそうです。
そのお宅の方はエホバの親に
「輸血をしないのは本当ですか。それで死んでもいいのですか」
と聞いたところ、エホバの親は
「死んでもいいのです」
と答えたそうです。
一緒にいた子供にも
「あなたはケガをしても輸血が受けられないけど、それで死んでもいいの」
と聞くと、子供は泣き出してしまい答えられなかったそうです。

子供の幸せを考えない自己満足の宗教のようですね、エホバは。
<エホバの証人>手術中に大量出血、輸血受けず死亡 大阪
 信仰上の理由で輸血を拒否している宗教団体「エホバの証人」信者の妊婦が5月、大阪医科大病院(大阪府高槻市)で帝王切開の手術中に大量出血し、輸血を受けなかったため死亡したことが19日、分かった。病院は、死亡の可能性も説明したうえ、本人と同意書を交わしていた。エホバの証人信者への輸血を巡っては、緊急時に無断で輸血して救命した医師と病院が患者に訴えられ、意思決定権を侵害したとして最高裁で敗訴が確定している。一方、同病院の医師や看護師からは「瀕死(ひんし)の患者を見殺しにしてよかったのか」と疑問の声も上がっている。
 同病院によると、女性は5月初旬、予定日を約1週間過ぎた妊娠41週で他の病院から移ってきた。42週で帝王切開手術が行われ、子供は無事に取り上げられたが、分娩(ぶんべん)後に子宮の収縮が十分でないため起こる弛緩(しかん)性出血などで大量出血。止血できたが輸血はせず、数日後に死亡した。
 同病院は、信仰上の理由で輸血を拒否する患者に対するマニュアルを策定済みで、女性本人から「輸血しない場合に起きた事態については免責する」との同意書を得ていたという。容体が急変し家族にも輸血の許可を求めたが、家族も女性の意思を尊重したらしい。
 病院は事故後、院内に事故調査委員会を設置。関係者らから聞き取り調査し、5月末に「医療行為に問題はなかった」と判断した。病院は、警察に届け出る義務がある異状死とは判断しておらず、家族の希望で警察には届けていない。
 エホバの証人の患者の輸血については、東京大医科学研究所付属病院で92年、他に救命手段がない場合には輸血するとの方針を女性信者に説明せずに手術が行われ、無断で輸血した病院と医師に損害賠償の支払いを命じる最高裁判決が00年に出ている。最高裁は「説明を怠り、輸血を伴う可能性のあった手術を受けるか否かについて意思決定する権利を奪った」としていた。【根本毅】6月19日19時57分配信 毎日新聞