迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

手紙:旅700キロ超、届いた

2006年12月13日 | 社会
手紙:旅700キロ超、届いた 福井の小4・弓削潤奈ちゃん、お友だちを募集 /秋田
 ◇手紙入りワインボトル届いた--福井・狐川で放流→日本海…対馬暖流に乗って→男鹿に
 ◇弓削潤奈ちゃん「返事来るといいな」
 「このお手紙を見た人はぜひお友だちになってください!」。福井市の小さな川に流された可愛い手紙入りのワインボトルが、日本海を700キロ以上も旅し、男鹿市の海岸に届いた。差出人の福井市立社南(やしろみなみ)小4年、弓削潤奈(ゆげじゅんな)ちゃん(10)は大喜びで、手紙を預かっている秋田海上保安部は、文通相手を探している。【百武信幸】
 ボトルが発見されたのは9日午後。男鹿市船越の大工、畠山広さん(54)が、同市の五百合海岸で散歩中に見つけた。コルクをはずしてピンセットでそっと手紙を取り出すと、かわいい似顔絵つきの手紙。「遠く福井に住む純真な子供から届いた贈り物。秋田の同世代の子供に返事を書いてもらおう」と、10日、秋田海保に届けた。
 社南小のクラス担任、上野智子教諭から11日、手紙の秋田到着を伝えられた潤奈ちゃんは「本当に届いたの?」とびっくり。手紙を出したのは8月末で、どこかに沈んでしまったかもしれないと思っていたという。
 きっかけは、「だれかと友達になれるかもしれないし、夏休みの思い出になるよ」という父光司さん(41)の一言。光司さん自身、返事が来たことはなかったが、子供のころ、メッセージ入りボトルを海に流した思い出があるという。夏休みが終わる前に、母美枝子さん(40)と家族3人で、自宅前を流れる狐川にボトルを流したという。
 ボトルにはもう一通、「私はハルと言います……弓削ハル子」と書かれた便せんも入っていた。飼い犬ハル(雌、推定6歳)の手紙という想定で美枝子さんが書き、しのばせたもので「お姉ちゃんか妹かな」と想像していたという畠山さんは「まさか犬とは。たまげたなー」と笑っていた。
 秋田海保によると、福井の対馬沖から秋田沖へは直線距離でも約700キロ。対馬暖流の潮の流れによって流れ着くことはありうるが、職員は「そんな遠くから秋田まで流れてきたなんて話は聞いたことがない」と話す。
 光司さんは「だれかに届くのは何百万本に1本の確率では。台風もあったのに、奇跡的です」と感激。潤奈ちゃんは「手紙が着いたのはどんなところか知りたい」と、まだ訪れたことがない秋田への関心をかき立てられた様子だ。学校ではイラストクラブに所属して絵を描くのが得意といい、「返事が来るといいな」と、心待ちにしている。
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 秋田海保は、潤奈ちゃんに返事を書きたい人を募集している。問い合わせは電話018・845・1621同海保管理課。12月13日11時2分配信 毎日新聞
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ユーミンの曲にもありますね、
♪風がやんだら沖まで船を出そう
手紙を入れたガラスびんを持って~♪
どこかの高校の校歌だったはず。

今、調べてみたら、この「瞳を閉じて」という曲は奈留高校の愛唱歌だということです。
以下、引用文です。

愛唱歌「瞳を閉じて」の由来
分校時代から,本校では五島高校の校歌を歌っていました。しかし,歌詞が奈留島との縁が薄く,なじみにくいものでした。昭和49年,当時在学中だった藤原あつみさんがラジオの深夜番組に「私たちの校歌を作ってください。」と投書しました。それに応えて荒井由実(松任谷由実)さんから,奈留島の海や山のイメージを詩に託した「瞳を閉じて」という曲が贈られたのです。島を離れて暮らす友を思って歌われるこの歌は,校歌としては採用されなかったものの,NHKテレビ「新日本紀行」で奈留島の風物・生活とともに紹介され”幻の校歌”として反響を呼びました。その後本校は独立し,昭和51年に現在の校歌が制定され,「瞳を閉じて」は愛唱歌として歌い継がれています。

「瞳を閉じて」については、この話を紹介します。

で、私の話ですが、小学生の時に福島に行き、途中一緒に行った叔父が事故を起こし、その長い待ち時間に手紙を下さいと書いた紙をたくさん書いて飛ばしました。
その後、その紙を読みましたという手紙が届いたのですが、返事を書いた記憶がありません。
会津田島という場所だったように思います。

でも、この歳になってしまうと、手紙を入れたガラスびんもゴミになってしまうのかなー、と現実的なことを思ってしまう私がいるのも事実です。