迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

日航機墜落事故から20年

2005年08月12日 | 社会
あれからもう20年ですか。
日航機墜落事故の日の出来事は今も記憶しています。
当時は学生。アルバイトから帰ったばかりの夕飯前の時間で、NHKのローカルニュースを見ていました。
突然、アナウンサーが緊張した面持ちで、「日航機が消息を絶ったという情報が入りました」という第一報を告げたのです。
恥ずかしい話ですが、「日航機(ジャンボジェット)が消息を絶ったということ」にピンと感じなくて、それほど大きな出来事なのか実感できていなかったのです。
7時のニュースで詳細がわかるに連れ、事の重大さを認識していったのです。
それからは墜落現場が特定されないことにいらだち、夜遅くまでテレビにかじりついていたものでした。
そして、フジテレビで川上慶子ちゃん救出の場面が映し出され、ひとまず安堵したのでした。

その数週間後、現場となった上野村を通過しました。まだマスコミの中継車が役場前にあるころでしたが、現場付近のあまりの寂しさに心が凍る思いをしたことが思い出されます。

後年、日航機墜落事故に関しては、墜落現場の特定が遅れたことや救出活動の遅れ、米軍が救助活動に入ろうとしながら中止するという不可解な行動などが明らかになり、関連の書籍を何冊も読みました。

日航123便御巣鷹山墜落事故の真実