@じゃんだらりん

趣味(温泉・グルメ・音楽鑑賞・読書、コミック・日本史に世界史、ミステリーにミリタリー・時事)について語ってるブログです。

チキンラーメン

2007-01-06 | Weblog
カップヌードル、チキンラーメン、昔からよく食べてるインスタント麺好きだから急逝報道を見てびっくり。でも96歳だったし会社は世界一のメーカーになったし、悔いはないでしょうね。

合掌。
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世界へ宇宙へ即席めん 故安藤百福・日清食品会長


 安藤百福さんと即席めんの歴史は、日本経済の歩みと重なる。戦後の焼け跡に見たラーメンの屋台に群がる人々。それが原点だった。「食足世平(しょくそくせへい)」(食が足りてこそ世の中が平和になる)は後年、安藤さんが造った言葉だ。

 七転び八起きの人生ドラマだった。日本統治下の台湾生まれ。持ち前の商才を生かし、商都・大阪を舞台に繊維問屋で財をなす。戦時中は物資横流しの疑いで獄中生活も。疑いは晴れたものの辛酸をなめた。

 戦後は貿易業などで大金をつかむが、脱税容疑で連合国軍総司令部(GHQ)に逮捕されるなどで無一文の振り出しに。そこから寝食を忘れた即席めん開発の日々が始まった。

 売り出されたのは58年、安藤さんは48歳。遅咲きのスタートとなったが、「チキンラーメンの発想にたどりつくのに必要な歳月だった」。1万円札の発行、長嶋茂雄のプロ野球デビュー、東京タワー完成、そして皇太子妃(今の皇后陛下)に正田美智子さんが決まりミッチーブームにわいた年でもあった。

 残業や受験勉強の夜食、出稼ぎ農家と単身赴任者、それに母親が不在がちなカギっ子向けと、即席めんは時代の申し子だった。「ラーメンからミサイルまで」と、世界に雄飛する総合商社のコピーにもなった。簡便性を一段と強めたカップめん「カップヌードル」の登場は列島改造ブーム前夜の71年、その食べ歩きは若者のファッションにさえなった。

 失敗もあった。自信満々で開発したインスタントライスは、時代に合わず返品の山。しかし、撤退の決断は速かった。当時の資本金の2倍、30億円の投資が「授業料」だった。

 晩年まで、自社のすべての商品の味見をするほどで、食にかける情熱は衰えなかった。日清食品が宇宙航空研究開発機構と共同開発した「宇宙ラーメン」は、宇宙飛行士の野口聡一さんの手で、05年夏、米スペースシャトル・ディスカバリーに持ち込まれた。安藤さんは「ラーメンが宇宙に行くなんて夢のようだ」と笑顔で語った。

 06年8月には大阪市内で記者会見し、08年に世界の即席めんメーカーが消費拡大策などを話し合う「世界ラーメンサミット」を大阪で開く計画を語り、「日本からまいた即席ラーメンの種が広がった」と胸を張った。




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2 コメント

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トラバさせていただきました。 (げしょ)
2007-01-07 00:00:36
個人的にはもっと大きな話題になるかとおもっていたのですが・・・
ラーメンサミットのことを考えると、大往生ではなく、志半ばでの死だったのかもしれません。

個人的にはアノ国みたいな表現ですが“偉大なる父の味”といっても過言はないと思います。
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おはようございます (じゃんだらりん)
2007-01-07 07:46:42
個人的には、ソニーの盛田氏やホンダの宗一郎に匹敵する戦後を代表する経営者(発明者?)だったと思います。

「らーめんサミット」が開催予定だったですか。食品業界も再編の大波が来てる現在、志半ばだったかも知れませんね。
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