CⅩⅩⅩⅩⅥ「わらじ片っぽ」1976を見る聴く、
モノクロの世界、中世の巡礼の娘たち、山間の道、光と影、美しい風景の中、旅を続ける、一方、男と女のカップル、二人、夫婦者か、纏わりつく男、執拗に迫る男、旅の中、果たして、彼らは、巡礼と思えない、乞食か、芸人か、現代の近代的なアパートの一室の娘、洗濯物を干す娘、バルコニーから見出す白い鳥たち、舞い飛ぶ鳥たち、見上げる娘の顔、姿、夢、希望、今日の巡礼とは、こんなバルコニーから、見上げる、鳥たちに託された、舞い飛ぶ姿に、祈り、窓々の娘たち、何を想う、家族ゆえか、仕事ゆえか、窓の中に在るしかない、旅から遠く離れて、巡礼から遠く離れて、今、過去の、緑の中、樹々の中、語らい、笑い、木漏れ日の中の舞い、舞踏、ダンス、美しさ、白い衣装の巡礼姿の舞い、そこに、鬼か、悪魔か、男が暴れ込んで来て、先ほどの男と女のカップルだ、舞う娘たち、巡礼の娘たちは、倒れこむ、二人のカップルもまた、同様に、倒れこむ、今日の神社、祭り、巫女さんの列、今日の、祈り、祭りの世界に、閉じ込められて、人々、子供たち、祭りの楽しさ、憩いの世界、だが、娘たちの祈りの世界はどこに、舞以卒倒する娘たち、現実世界に、社会に、政治に、経済に、閉じ込められて、祈りは、舞いは、どこに、娘たちの、巡礼は続く、人員の変容とは、巻き込まれるもの、出ていくもの、こんな繰り返しの中、死するもの、消えるもの、こんな反復の中、橋を渡る、が、舞い落ちていく娘、一人、
落下、自死、いや、殺害、誰の、呪い、誰の、悪魔の、男の、仕業、神々の、光の、影の、風、山、木々、どこに、癒しが、安らぎが、判らない、こうした、世界を、巡礼して、祈り生きてきた、私たち、巫女たち、天使たち、そして、今、そびえる近代建築たち、山を削り、緑を切り開き、生まれた、アパート群、ここに、何を見る、可能性、希望、絶望、白い鳥よ、祈り、どこに舞い飛ぶ、郊外に、巡礼地が、文字で画面に、札所、落下せずに、飛び続けられるだろうか、お願いします、神様、仏さま、自転車で郊外を行く娘、今日の巡礼はハイキング、祈りの世界から遠く離れていないか、いや、鳥に託し、機械仕掛けの巡礼、そして祭りに戯れて、祈りはどこに、いかに、開発される山々、これこそが、あの橋からの落下なのでは無かったか、危ない、危ない、子供たち、遊んでいる子供たち、一人の母だろうか、双六の巡礼を子供たちに、教える娘、今や、祈りは、巡礼はゲームの中に、それでも、それでも、私たちは、生きてある、私たちは、祈りとは、娘とは、女とは、男とは、祈りとは、今日の日常生活もまた、旅であり、祈りであり、巡礼だ、革命から遠く離れて、河原の石達、流れる水、老婆の語り、巡礼姿の老婆の物売り、ビジネスとして、観光として、してやられた、中に、中から、旅ははじまるだろうか、舞は、手は、足は、いかに、如何に、
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