す ず し ろ

はじまりはガンダムSEED。ネタのない最近は停滞中。気の向くままに、気の向いたときに

スターゲイザー見ました(やっとです)

2007年03月17日 | SEED (感想&考察みたいなもの)
やっと、やっと見ましたスターゲイザー。

45分の時間なんてあっという間、よくぞこの短い時間にこれだけのものを詰め込み、話として作り上げたと思います、素晴らしい作品でした。
私としてはお薦め!なのですけれども、SEEDの世界観があってのお話ですので、これ単品で見る事はお薦めはできませんし、なにより本編のノリで見ると、好き嫌いが分かれると思う作品ですね。




以下ネタバレありです(いまさら?)






外伝にあたる作品ですので、本編に触れるのは少しだけで、1話でサトー、デュランダルの演説、2話でステラとの邂逅、3話はレクイエムによるプラント攻撃と、時間経過を知る手段として挿入されるくらいでした。

メインキャラクターを、スウェインとセレーネと定めていますが、どちらかというと、その周りの人たちにスポットが当たっていたように思えました。そして二人の所属の関係で正規軍から離れた視点となったからかでしょうか、連合vsザフトの戦いを描くのではなく、本編では描いてもらえなかった感のある、C.E世界のテーマ、ナチュラルとコーディネーターの対立として描いていると感じました。

一人一人が持つ想い、願い、生きる為の足掻き。それをあざ笑うかのように淡々と存在する世界。TV本編の世界を、理想の箱庭のようなものであるとすると、スターゲイザーでは、理想を飲み込む現実が立ちはだかる世界が描かれているように感じました。
スウェインとセレーネ、二人を取り巻く人と状況を描く事により、人々のさまざまな想いや思惑が詰め込まれた話になったと思います。


MS戦は派手ではありません、それでも第1話にあたる部分の戦闘では、MSの驚異的な強さをしっかりと書いてくれました。
救助活動をしている真っ只中に現われた1機のジン、無機質な機械が人間を殺していく様は、まさに悪魔の兵器、MSはただの殺戮兵器であることを強調していましたね。(花嫁攫ったり、おてて繋いで仲良く飛んだりしていたから、おもしろ兵器と勘違いしていたわ)

そのパイロットはコーディネーターの子供達であり、彼らが起こした破壊と殺戮は、後日放送された子供達の声明文から、ナチュラルに親を殺されたコーディネーターの子供達の復讐という名のテロ行為と認定されました。
声明文の内容は、ナチュラルがスウェインに施した洗脳と何もかわりなく、利用しようとする者は、互いに相手の非人間性を唱え、互いを否定しながらも、結局同じ生き物なのだという皮肉。
そして、パトリック・ザラの影響力というものを、痛感させられる出来事でもありました。



描きたかったのは、人類の可能性、人が求める温もりかなと。


本編でレイが言った台詞「俺たちは創られた、ただ出来るという理由だけで」
視聴しながらこの台詞が頭に浮かびました、それはスターゲイザーも、出来るという理由で創られたものであると思うから。可能性を形にした一つの結果なのであろうと思うから。


可能性への挑戦、それは決してなくすことのない人類の希望。

このお話は、普段スポットのあたらない、技術者・研究者達のお話であったとも思えるのです。彼らは直接戦争に関わる場所にいるわけではありません、しかし、彼らが生み出すものが勝敗を左右するのです。

コーディネーターの誕生、それは根深い憎しみの連鎖を生み出す結果となりました、しかしその技術は、人類未踏の地を目指す希望から生まれたものであったと思います。クローン技術も、スターゲイザーも同じ、そこに希望をみた人々の想いは存在していたと思いたい。たとえそれが、すべてを可能とすることが出来るという、人の傲慢ともいえる想いであっても。

彼らは可能性を追求し、探求する場を求めています、その結果が軍事転用されるとわかっていても、そうならないことを願いながらも、好奇心に勝るものはないのかもしれません。そんな想いも含めてレイが言った“欲望”ですが、この作品では視点を変えて“希望”である事を伝えているように思いました。
スターゲイザーの起動シーンは、彼らの純粋な想いが込められているようで、胸が熱くなりました。

「数学者の仕事なんて、株価のフラクチュエーションの解析しかもうないわ。」
それでもこの台詞が、彼らの現状をすべて物語っているようですけどね。



「さみしいから、一人で死ぬのが寂しかったから」「暴れてもいいわよ、私が死ぬまで一人じゃないって感じさせてくれればいいの」
果てのない闇に一人残される恐怖。
キラの不殺って、救助される事が前提としてあるじゃないですか、でも実際助かる保障なんて一切ないのですよね。流れ弾に当たる可能性もある、他の機体の爆発に巻き込まれる可能性もある、発見されなかったら、生命維持装置が故障したら。
常に思っていたのですよ、えげつない殺し方だよなぁ。
セレーネの言葉で、なんとなくその思いを肯定してもらえた気がしたりしてね(と、勝手な思い込み)

第2話の部分でスウェインは幼少期の夢を見ます、目覚めた時に忘れてしまっているのか、覚えているものなのかは判らないのですが、実際に覚えていたとしても、それは心に影響を与えるものではなく、記憶というより過去の記録みたいなものの感覚なのかなぁと感じました。コーディネーターに対する感覚も同じようなもので、抹殺すべきものだと教えられたから、それに従っているだけで、感情を排除した記録に従って行動しているように見えたのです。
なぜなら、仲間が殺された事に対しての怒りは感じる事が出来たのですが、コーディネーターに強い憎悪を抱いているようには見えなかったからです。そう感じた原因は“感情”を感じることが出来なかったからだと思うのです、冷酷非情な戦闘マシーンに必要のないものとして、感情を取り除いた結果なのかもしれません。
シャムスからは憎しみが伝わってきました、スウェインと対比させることによって、スウェインを無感情と、強く感じてしまったのかもしれません。

セレーネに母の面影を見つけ、セレーネに寄り添いながら眠りにつくスウェイン。その時に、以前見た場面と同じ夢を見るのですが、大きく違うところがあります。それは、夢には自分に向けられる“情”が存在し、慈しむ想いが存在する事。
この時にスウェインは、記録としてではなく、記憶として過去を取り戻す事が出来たのではないかと思っています。

そして漂流から669時間後、生存可能日数のタイムリミットである27日目に二人は発見されます、眠り続ける二人は、呼びかけに応える事はありませんが、きっと大丈夫ですよね。


外伝ですので、本編とは異なるテイストのお話、初めから終わりまで、胸がぎゅーっと痛くなる作品でした。
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