院長のつぶやき

埼玉県所沢市にある、くわのみクリニック院長が日々を呟いていきます。

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終戦記念日

2015年08月21日 | 名言
8月15日は終戦記念日であった。
正式には単に「8月15日はポツダム宣言を受諾の日」であり、公的には、その後戦艦ミズーリー号で行われた「無条件降伏を受諾する旨を文書で取り交わした日」が「戦争終結の日」の筈である。
別にそんな細かいことを言っても仕様がない。
今年はその戦争終結の日から70年という節目の年であり、新聞、テレビ、ラジオなどで、盛んに特集番組が組まれた。
各番組それぞれ良く製作されていたが、タイトルから内容が全く分からずに偶然見て素晴らしかった番組を一つ紹介したい。
それは、今年2月頃までNHKで放送されていた「団地ともお」というアニメのスペシャル版でタイトルは
「夏休みの宿題は終わったのかよ?ともお」
であった。
仕事の開始前に時計替わりにつけていた程度であったが、その内容が素晴らしく良く、久しぶりにテレビ画面に釘付けになっていた。
今回の番組のタイトルの「夏休みの宿題」とは『戦争について』作文を書くことであった。この宿題を仕上げるために戦争を経験している年寄りにいろいろと聴いて回るとしおであった。番組の最後の方で、としおの友人が「俺、作文書いたぜ。最後に戦争は嫌いです。とか書いておけばいいのさ。ちょろいもんだぜ。お前もそうしておけよ」と言うのに答えて「俺そんなふうに書くのってその人達に失礼な感じがするんだ」と言うとしおのセリフの奥深さ。には驚いた。

詳しくはNHKオンデマンドで!

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東京オリンピック2020

2015年08月05日 | 名言
半世紀前、日本には至る所にまだ戦争・戦後の傷跡が残っていた。私はまだ10歳の子供で、戦争の実体験は無かったが、周りにいる大人たちの心の闇の中にある戦争体験から私にも、戦争の悲酸さ・辛さは伝わっていた。そして戦争に負けたことも・・・。その鈍よりとした空気を一変し、世の中を変えたのが、1964年10月に開催された東京オリンピックであった。
ヒトが人生という劇の中で自分という役を演じている時、必ず自分の心に『何か』をおこさせる瞬間に出会うと私は考えている。その『何か』はヒト各人で異なり、物質的な変化であるかもしれないし、あるいは精神的なものかもしれないのである。
戦後、日本経済は幸運にも朝鮮戦争の特需でかなり持ち直したとは言え、東京オリンピックの開催が多くの日本人の心にその『何か』をもたらし、「俺たちの荒廃した国でもこれだけ素晴らしいことができる」という精神的な自信が沸き起こったことは間違いないであろう。また、実際に見ることができなくてもテレビなどで見たりラジオで聞いたりしたことで人生観が変わった人達も多いと思われる。
2020年に再び開催の決まった東京オリンピックは日本人に何をもたらしてくれるのであろうか。いや、何を求めて招致したのであろうか。同じ名前の『東京オリンピック』ではあるが、1964年と2020年では時代も変わり、開催することの意味は全く異なってくる。単なる世界規模の大きなお祭り騒ぎに終わらないように祈りたいものである。


最近のひまわり達
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3月11日を風化させない方法はあるか

2015年08月04日 | 名言
今、私たちは本当に真剣に考えなくてはなりません。3月11日に起きた大震災と大津波そして人災とも言われる福島の原発に関わる様々な問題を風化させないためにも、この日を何らかの形で残して頂きたいのです。毎年3月11日が来るたびに、私たちの頭の中に事故当日に起きたことを鮮明に思い出させることが重要です。何もカレンダーに固執しているわけではありません。良い方法があれば何でも良いのです。正直なところ3年経ち、当事者達には鮮明な記憶でも、遠隔の地に住む者にとって、日々の忙しさの中で、つい忘れがちになってしまうのです。


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あれから四十数年

2015年08月03日 | 名言
高校を卒業してから40数年が経ってしまった。
この年月が予想していたものよりずっと短いものであることを自覚する毎日である
私の通学した高校は都内有数の乗客数を誇るS駅に近い都立高校で、以前は難関と言われていたが、受験生が自分で高校を選べない悪名(?)高き学校群という新制度によりレベルが落ちていた。
また前身が旧制中学であり、古い木造校舎を使用し、その中に伝統という香りを漂わせていた。
一方、その頃は学生運動が盛んで、入学半年後に学園紛争が起こり、授業が数週間停止したのであった。
その高校の良し悪しを東大を中心とした有名大学の合格者数で評価するのは変で、また旧制中学からの伝統があっても、変革や改革をしないで放置しておけば手入れをされない森の木のように朽ち果てたかもしれなかった。
その意味では学園紛争のような手段は意味のある事であったかもしれない。
しかし、私の高校ではこれらのことが数年のうちに起きたのである。
つまり第1に学校群制度により、東大重点主義という呪縛から解放されたとともに、合格者数が階段状に激減しその低迷ぶりが明らかになった。
そして変革の第2は旧制中学時代の校舎から新校舎にかわったことで、ハードウエアの変革となったのである。さらに追い打ちをかけたのが学園紛争という在校生による内部からのソフトウエアの変革であった。
 この「変革」と言ってきたものが絶対に必要なものであったのか。旧い伝統に憧れ、旧さの香りを吸い満足をしていた少年だった当時の私には学園紛争の存在の意義や意味がわからなかった。
 しかし、最近母校の前を通った際、校門から出てくる後輩たちの青春を謳歌している姿があり、わが母校が今だ健在だったことは嬉しかった。
あの高校の最初の年の経験は、自分自身の精神的成長に役立ったことは確かであり、高校時代の強烈な思い出として40年数年たった今でも心の中に残っているのである。


 ベランダで咲いたパッションフルーツの花



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暑い!熱い!

2015年07月29日 | 植物
お久しぶりです
世の中、まさに『暑い』が旬の季節です.
日向に出しておいたフライパンで目玉焼きができるくらい熱い。



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