すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1600号 寂れても、懐かしさが募る朔太郎の街

2018-09-09 07:52:02 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】萩原朔太郎に「広瀬川」と題する詩がある。「広瀬川白く流れたり/時さればみな幻想は消えゆかん」と始まり、「われの生涯(らいふ)を釣らんとして/過去の日川辺に糸をたれしが」と転じて「ああかの幸福は遠くにすぎさり/ちひさき魚は眼にもとまらず」と結ぶ、わずか6行の郷土望景詩である。前橋の市中を下る利根川疎水・広瀬川は、朔太郎の生家から近い。流れは今日も白い波を立てているが、「糸を垂れる」人はいない。



朔太郎が没して50年が過ぎたころ、私はこの街で新社会人を歩み始めた。6年間の上州生活で、彼の生家跡は日々の通勤路沿いにあったし、当然、繁華街を縁取る広瀬川を眺める機会も多かった。何とも懐かしい界隈を、街を去って40年になる今日、久しぶりに歩いている。広瀬川は同じように白く波立って流れているものの、両岸から豊かに葉をしだれさせている柳は、伸び過ぎた髪のようで昔日に繋がらない。



川の水運・水利を偲ばせる「交水堰」あたりには水車や埴輪が脈絡なく点在し、唐突に岡本太郎のオブジェが現れたりする。かつては前橋の中心街の外縁であった川が、今ではむしろ中心そのものになったかのような入念な手入れぶりである。ここを「水と緑と詩のまち」前橋の、新たな中核にしたいといった思惑があるのだろう、萩原朔太郎記念「前橋文学館」と、その生家を移築した朔太郎記念館が川を挟んで建つ。



社会に出たての私が、見るもの聞くもの何もかもが物珍しく、面白くてたまらなかったこの街は、広瀬川右岸を北端に、県庁と駅を結ぶメインロードを南端とする、弁天通りと中央通りの連続するアーケード街が中心商店街だった。その記憶を頼りに川の畔からアーケード街へと入り込むと、眼を覆うばかりの寂れ様である。営業中の店舗より、シャッターを閉じた店の方が多く、買い物客は道路工事の整理員より少ない。



かつては覇を競い合っていた3つのデパートは、いまや1店が細々と営業を続けているだけで、通りのなかほどには「中央イベント広場」という広大な空地が広がっている。日本中で見られる旧商店街の、極端な衰退例である。前橋市の人口は33万8000人。北関東3県の県庁所在地では宇都宮市の52万人より少なく、水戸市の27万人より多い。ただ前橋市の場合、隣接する高崎市を加えた70万人の経済圏がある。

(前橋文学館)

朔太郎にとって郷土は「無職で変人の若者をいつも白い眼でにらみ、背後から唾をかけてくる」存在であった。そうやって都会に追いやった朔太郎を、街は改めて中心に祭り上げ、街起こしを計っている。人の営みなど、所詮こんなことの繰り返しなのだろうが、そう単純な話ではないことに、故郷を逃れ、東京に出た朔太郎自身が、郷土の懐かしい山河を思って身悶えるのである。これもまた人間というものであろう。



商店街を抜けて大通りに出ると、昔もあった書店が通りの向かい側に場所を移して大きなビルになっている。地方の書店としては特筆される大型店だ。3階の古本と骨董のフロアで郷土史関連の書棚を眺めていると、懐かしい背表紙を見せて私の本が売られていた。一部共著でこの書店から出版した『遺跡は語る』である。定価の半額600円の値札に時の経過をしみじみ味わい、またこの街が愛おしくなる。(2018.9.6)



















コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第1599号 リスボンで考える... | トップ | 第1601号 上田の木片人形に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Tokyo-k Report」カテゴリの最新記事