みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「トシビョウキ スグカヘレ」という電報

2018-02-14 14:00:00 | 法華経と賢治
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 さて、その後の賢治であるが、理崎氏によれば、
 賢治はアルバイトをしながら国柱会の活動をしていたが、妹トシの病気で急遽帰郷した。
             〈97p〉
という。さて、ではこの急な帰郷はいつのことであったのだろうか。それは、巷間、「トシビョウキ スグカヘレ」という電報を見て直ぐ帰郷したということになっているようだが、『新校本年譜』には、
(大正10年)八月中旬~九月初旬 家からトシ発病を電報で知らされ、急遽帰宅の用意をし、茶色のズックをはった大トランクを買い、書きためた原稿をぎっしりつめこむ。…(投稿者註略)…中学生の弟清六が花巻駅に出迎え、大トランクにびっくりし、賢治はきまりわるそうに「やあ」という。
となっていて、しかも引き続いて「トシが喀血したのでしらせたのだが」とも記述してあるのに、帰花した期日はかなりの幅があってはっきりとは確定していない。賢治が家出・上京したのは大正10年1月23日ということだから、約7ヶ月ぶりに帰花したと言えるだろうが。

 そこで私は「やはりな」と呟いてしまう。それは、先に「賢治は一つのことがあまり長続きせず、大体7~8ヶ月間が過ぎるあたりでそれは終わりを迎えてしまう性向が賢治にはある」<*1>と私は言ってしまったが、この場合もそれに当たりそうだ、と思ったからだ。それにしても、家族を正しい信仰に導くために上京しました。ここで下足番でもビラ貼りでも何でもします」というような強い意志と覚悟で家出した賢治だったはずなのに、なぜたった7ヶ月程で急遽帰郷した、帰郷できたのだろうか。その程度の覚悟の家出だったのだろうかと、私にはとても不思議なところだ。

 一方で、〔8月11日付〕関登久也宛書簡(197)に、
お手紙ありがたくありがたく拝誦いたしました。又脚気のお薬を沢山お送り下さいまして重々のお思召厚くお礼申し上げます。うちからは昨日帰るやうに手紙がありました。すぐ返事を出しておきましたが、こんなに迄ご心配を掛けて本統に済みません。…(投稿者略)…
  どうか早く生活の安定を得て下さい。いゝものを書いて下さい。文壇といふ脚気みたいなものから超越してしっかり如来を表現して下さい。
                                                     さよなら。
  尚十月頃には帰る予定ですが、どうなりますやら。
  あなたのお弟さんが忙しくて実にお気の毒です。この紙の裏はこわしてしまった芝居です。
             <『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』(筑摩書房)>
というように、「尚十月頃には帰る予定ですが、どうなりますやら」と書いてあるという。こう関に洩らしたということは、それが政次郎の耳に届くこともある程度賢治は織り込み済みだったのかもしれない。
 それは、田口昭典氏が『宮沢賢治と法華経について』で述べていた次のことを私は思い出したからである。
 また書簡185で見られるように、上京後一週間経ってから親戚の友人関徳彌へ、消息を知らせる手紙を出していることも、関徳彌へ手紙で知らせておけば、自分の家にも早速知らせてくれることが分かっていた。
            〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典氏著、でくのぼう出版)77p〉

 そしてそこはあうんの呼吸で、実家では「トシビョウキ スグ カヘレ」と電報を打ち、それに応じて賢治は渡りに舟ということで直ぐ帰花したということが否定できない。それは、「賢治はきまりわるそうに「やあ」という」がいみじくも示唆してると私には思えるからでもある。そこで私は、『新校本年譜』では「八月中旬~九月初旬」となってはいるが、賢治は結構早い時点(つまり「八月中旬」)で帰花していたかもしれない、とふと思った。

<*1:註> 例えば、
   ・羅須地人協会は大正15年のお盆に発足を計画、その終焉が翌年の4月(四月一〇日(日)「昭和二年度第一小集を開催)頃だからその期間約7~8ヶ月間
   ・「東北砕石工場花巻営業所長」としての営業活動も7ヶ月ほどが経った頃の、昭和6年9月の家出ともとれる上京

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。

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