みちのくの山野草

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789 五庚申塔を探して(地蔵堂その1)

2009-02-02 08:42:42 | 庚申信仰
 五庚申塔を捜し回っているがなかなか見つからない。
 聞くところによるとそこの境内には膨大な数の石碑があると云うことでもあり、今回は地蔵堂を訪ねてみた。

 花巻市街から県道12号線を鉛温泉方向へ向かう。東北自動車道の下をくぐる前に進行方向右手に現れるのがこの 
《1 地蔵堂》(平成21年1月29日撮影)

である。
《2 〃正面》(平成21年1月29日撮影)

この写真の右手に見える石標の
《3 プレート》(平成21年1月29日撮影)

には次のように書かれてある。
     地蔵堂
「地蔵堂の五本の巨杉が  まばゆい春の空気の海に・・・」で始まる詩が「春と修羅 第二集」にあるが、その地蔵堂である。
 詩の中に出てくる「寛」(桜羽場)、及びその叔父鈴木卓内(苗)の生家。賢治は度々ここを訪れていた。
 境内には50に近い石碑があり、中でも「桜崋山延命寺地蔵尊碑」は正保2年(1645)の建立で、その名の示す通り古くから桜の名所でもある。
 今も大きな「子持杉」が2本あり、「延命子安地蔵尊」は子孫繁栄と安産を念ずる日々とがよく訪れる。

 しかし、
《4 かつての地蔵堂》(平成21年1月29日撮影)

   <『賢治のイーハトーブ花巻』(宮沢賢治学会・花巻市民の会)より>
はこのように杉木立の中にあったのだと云うが、残念ながら木立は殆ど無くなってしまっている。まして、桜の大木も見あたらない。
《5 桜崋山延命寺由緒》(平成21年1月29日撮影)

《6 参道》(平成21年1月29日撮影)

《7 鳥居の額》(平成21年1月29日撮影)

《8 鳥居の向こうにある大きな切り株2つ》(平成21年1月29日撮影)

《9 巨杉?の切り株》(平成21年1月29日撮影)

かつてはあった五本の巨杉の中の2本の切り株なのだろうか。
 境内にはいると
《10 『巨杉』の詩》(平成21年1月29日撮影)

《11 境内の石碑群》(平成21年1月29日撮影)

この写真の左端に見えるのが生き残った最後の「子持杉」だと思う。
 そもそも、ここのご神木でもある「子持杉」は、杉の幹が途中から二股に分かれているので親が子供を抱き抱えているように見えたので付いた名前だという。ところが、2本あった「子持杉」の中の1本が朽ち始め、とうとう7年前に子杉の部分が折れ、あげく近くにあった地蔵堂を破損させてしまった。さらに、その巨杉は倒壊の危険性もあったために昨年春、根元から伐採されてしまったのだと云うことを岩手日日新聞(2008,11,25付け)が伝えている。同紙はさらに次のようにも報じている。
 切り株の姿で後世へ 賢治ゆかりの「神木」
 花巻市古館の中根子子安地蔵尊で、神木を伐採した切り株の保護堂宇が完成し二十四日、落慶法要が営まれた。高さ二十五メートル、幹回り六メートルを超える巨木のスギで、宮沢賢治の詩に登場した神木を伐採後も生かし、「胎内くぐり」に仕立てて安置。法要には地域住民ら五十人余りが参列し、神木が若返りの縁起物として後世に伝わることを願った。

《12 地蔵堂》(平成21年1月29日撮影)

《13 〃の額》(平成21年1月29日撮影)

《14 切り株の保護堂宇》(平成21年1月29日撮影)

《15 子持ち巨杉由緒》(平成21年1月29日撮影)

《16 保護されている神木の切り株》(平成21年1月29日撮影)

《17 胎内くぐり》(平成21年1月29日撮影)


 では、境内に50基もあるという石碑を今度は眺めてみたいのだが、それは続きへ。

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