みちのくの山野草

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「昭和二年は非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった」は誤認

2023-01-10 12:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《こんな金色の猩々袴があるなんて信じられなかった》(平成30年4月8日撮影)

 さて、先に、
    昭和二年は……ひどい凶作であつた」は全くの事実誤認
であること、そして次に、
    昭和二年は非常な寒い氣候が續いて」は誤認を福井自身が証明
していたことを明らかにした。よって、これらを併せればおのずから、
    「昭和二年は非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった」は誤認
ということになる。
 つまり、
    福井規矩三の「昭和二年はまた非常な寒い氣候が續いて、ひどい凶作であった」という証言は事実誤認であった。
ことを私は明らかにしてしまった。
 したがって、あの『新校本年譜』の昭和2年の、
七月一九日(火) 盛岡測候所福井規矩三へ礼状を出す(書簡231)。福井規矩三の「測候所と宮沢君」によると、次のようである。
「昭和二年は非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった」
             〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』355p~〉
という記載内容については問題があり、『新校本年譜』のこの記載、
     「昭和二年は非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった」…………◉
は間違いである。言ってしまえば、〝◉〟は「ただの一箇所も真実を含んでいない」のだ。ということは、この記載担当者達は裏付けも取らず、検証もしていなかったということが、危惧される。
 言い換えれば、あの石井洋二郎氏の警鐘「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること」という基本を『新校本年譜』は疎かにしていたということになるのではなかろうか、ということだ。
 はしなくも、
    筑摩と雖もその記述内容には間違いがあることもある。
ということを、この記載〝◉〟は物語っていると言える。

 しかしその一方で、『新校本年譜』の、しかも「上段」に記載されておれば読者はもちろんのこと、賢治研究家でさえも、それをそのまま鵜呑みにするという現実が否定出来ない。
 そこで、この記載〝◉〟をそのまま信じ込み、「昭和二年は非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった」を事実と思い込み、以前も引例したように、「昭和2年の賢治と稲作」に関する論考等において、少なからぬ賢治研究家がその典拠等も明示せずに次のようなことを断定的な表現を用いてそれぞれ
(a) その上、これもまた賢治が全く予期しなかったその年(昭和2年:投稿者註)の冷夏が、東北地方に大きな被害を与えた。
              〈『宮沢賢治 その独自性と時代性』(翰林書房、平成7年)152p〉
 私たちにはすぐに、一九二七年の冷温多雨の夏と一九二八年の四〇日の旱魃で、陸稲や野菜類が殆ど全滅した夏の賢治の行動がうかんでくる。
              〈同、173p〉
(b) 昭和二年は、五月に旱魃や低温が続き、六月は日照不足や大雨に祟られ未曾有の大凶作となった。この悲惨を目の当たりにした賢治は、草花のことなど忘れたかのように水田の肥料設計を指導するため農村巡りを始める。
              〈『イーハトーヴの植物学』(洋々社、平成13年)79p〉
(c) 一九二七(昭和二)年は、多雨冷温の天候不順の夏だった。   
              〈『 宮沢賢治 第6号』(洋々社、昭和61年)78p〉
(d) (昭和2年の)五月から肥料設計・稲作指導。夏は天候不順のため東奔西走する。
              〈『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫、平成元年)所収の年譜〉
(e) (昭和2年は)田植えの頃から、天候不順の夏にかけて、稲作指導や肥料設計は多忙をきわめた。
              〈『新潮日本文学アルバム 宮沢賢治』(新潮社、昭和59年)77p〉
(f) 一九二六年春、あれほど大きな意気込みで始めた農村改革運動であったが…(投稿者略)…中でも、一九二七・八年と続いた、天候不順による大きな稲の被害は、精神的にも経済的にも更にまた肉体的にも、彼を打ちのめした。
              〈『宮澤賢治論』(桜楓社、昭和56年)89p〉
と論じたという構図があるのではなかろうかと懸念される。もちろん、それぞれの論者が何らかの別の情報に基づいて、このような断定的表現をしたのかもしれないが、そうだとしてもこれらの(a)~(f)はいずれも歴史的事実ではない(先の〝「昭和二年は……ひどい凶作であつた」は全くの事実誤認〟や〝「昭和二年は非常な寒い氣候が續いて」は誤認だと当の福井が証明〟等をご覧になってもらえればご理解いただけるはずです)。

 とまれ、〝◉〟、すなわち「昭和二年は非常な寒い気候が続いて、ひどい凶作であった」を大前提として、「この悲惨を目の当たりにした賢治は、草花のことなど忘れたかのように水田の肥料設計を指導するため農村巡りを始める」とか「夏は天候不順のため東奔西走する」はたまた、「稲作指導や肥料設計は多忙をきわめた」という論に発展しかねないが、それは要注意である。なんとなれば、そもそもその大前提である〝◉〟は事実誤認、つまり嘘だからだ。だから、もしこれらの(a)~(f)が〝◉〟を大前提としているのであれば、論としては始めから破綻しており成り立たないはずだ。言い方を換えれば、これらの論者がまず為すべきことは、まさに石井洋二郎氏が鳴らす警鐘、「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみることに倣うことではなかろうか。それは〝(a)~(f)〟の論者のみならず、まず真っ先に〝◉〟の記載担当者が、である。

 つきましては筑摩書房様に、『新校本年譜』の記載〝◉〟については一から出直し、再検証して頂きたい、とお願い申し上げる。さもないと、多くの賢治研究家達は賢治に関してはとりわけ御社の本には全幅の信頼を寄せているわけですから、これからもこの記載〝◉〟の内容は事実であると素直に信じ込み、これを大前提として論をスタートさせ、(a)~(f)と似たようなことを主張する人々がこれからも続きかねませんので。

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