みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3150 「和風は河谷いっぱいに吹く」

2013-03-18 09:00:00 | 本当の賢治を知りたい
《創られた賢治から愛される賢治に》
 さて、以前〝賢治と甚次郎最後の別れ〟や〝10回目の上京の別な可能性(#30)〟において、私は
「和風は河谷いっぱいに吹く」に詠まれている光景ははたしてその日、8/20の実景だったのだろうか。
という疑問を投げかけた。
 賢治には同日(8/20)付の詩が幾つかあるが、その中で「和風は河谷いっぱいに吹く」だけは他の詩篇と異質だったからである。どうやらこの詩は、詩なのだから当然虚構があってかまわないし当然なのであるが、そのような類の詩なのではなかろうかと推測していた。それが、この度『阿部晁日記』から当時の天気や気温を知ることができたことによってその確認ができたような気がする。
昭和2年の7月~8月
 まずは、昭和2年の7月~8月の花巻の天気は下表のようになっている。

                 <『阿部晁日記』より>
「和風は河谷いっぱいに吹く」
 一方、件の詩「和風は河谷いっぱいに吹く」は次のようなものであった。
 一〇二一
          和風は河谷いっぱいに吹く
                              一九二七、八、二〇、
     …(略)…
   稲がそろって起きてゐる
   雨のあひだまってゐた穎は
   いま小さな白い花をひらめかし
     …(略)…
   南からまた西南から
   和風は河谷いっぱいに吹いて
   汗にまみれたシャツも乾けば
   熱した額やまぶたも冷える
   あらゆる辛苦の結果から
   七月稲はよく分蘖し
   豊かな秋を示してゐたが
   この八月のなかばのうちに
   十二の赤い朝焼けと
   湿度九〇の六日を数へ
   茎稈弱く徒長して
   穂も出し花もつけながら、
   ついに昨日のはげしい雨に
   次から次と倒れてしまひ
   うへには雨のしぶきのなかに
   とむらふやうなつめたい霧が
   倒れた稲を被ってゐた
   あゝ自然はあんまり意外で
   そしてあんまり正直だ
   百に一つなからうと思った
   あんな恐ろしい開花期の雨は
   もうまっかうからやって来て
   力を入れたほどのものを
   みんなばたばた倒してしまった
   その代りには
   十に一つも起きれまいと思ってゐたものが
   わづかの苗のつくり方のちがひや
   燐酸のやり方のために
   今日はそろってみな起きてゐる
     …(略)…
   あゝわれわれは曠野のなかに
   芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに
   素朴なむかしの神々のやうに
   べんぶしてもべんぶしても足りない

               <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)110p~より>
すると、この詩の中の
   雨のあひだまってゐた穎は

   ついに昨日のはげしい雨に
に注目すれば、この詩は8月20日のことを事実に即して詠んだものではないことがわかる。前者からは、この詩は晴れている日に詩を詠んでいるはずであり、後者からは前日が雨であることが導かれるが、実際の花巻の天気はといえばこの前日(8/19)は雨が降っていないし、逆に当日(8/20)は雨が降っているからである。
 それゆえ、この「和風は河谷いっぱいに吹く」にはいくつか虚構がありそうで、例えば
   今日はそろってみな起きてゐる
が真実であったかどうか疑わしくなってくる。賢治が「べんぶしてもべんぶしても足りない 」と思えるような実態にはたして稲田はあったのか、同日に詠んだ他の詩のことに鑑みればどうしても疑問が生じてくる。
8月20日の真実
 どうやら、『阿部晁日記』によって当時の花巻の天気や気温を知った今は、詩に詠み込まれている内容と実景とには乖離があるということを認めざるを得ないようだ。
 かつて「和風は河谷いっぱいに吹く」の詩からは、賢治が駆けずり回った近隣の村々の稲は皆倒れてしまったのに、賢治が指導した稲田だけは稲作指導が上手かったせいで、肥料設計が良かったせいで奇跡的に稲は立ち上がったのでそれが嬉しくてたまらず自画自賛、手を叩きながら欣喜雀躍している賢治の様が私の目に浮かんでいたが、ここに詠まれている稲田の様子は現実のそれではなかったということになりそうだ。
 実はこの詩はあくまでも虚構を含んだ「詩」なのであり、賢治がこうあって欲しいという「願いや祈りを詠んだ詩」なのであるということになりそうだ。日照りが続いてほしいこの時期なのに、現実は引き続く曇天や降雨のために稲が開花しても結実してくれるのだろうかと賢治は懼れ、あげく、滅多にないような強い雷雨のために倒れてしまった稲田が賢治の目の前に拡がっていたというのが8月20日の真実だったようだ。
 同日付の詩〔もうはたらくな〕に詠まれ、〔二時がこんなに暗いのは〕で詠われている内容ならば『阿部晁日記』に記載されている天候と符合しているから、これがそのときの稲田の真実であり稲は皆倒伏していたと考えざるを得ない。ところが、「和風は河谷いっぱいに吹く」に詠まれている当日と前日の天気は虚構である。したがってそこに詠み込まれている光景は実景ではなかった、とならざるを得ないようだ。つまり、
 次から次と倒れてしまった稲だったが、十に一つも起きれまいと思ってゐたそれらの稲がこの日にそろって起きてゐるという訳では決してなく、稲田の真実は相変わらず倒伏したままであった。
となろう。
 よって、先に引用させてもらった天沢氏の
   〔もうはたらくな〕は失意の底の暗い怒りの詩である。
という指摘通りだということを私は確信したし、「和風は河谷いっぱいに吹く」を
   べんぶしてもべんぶしても足りない
と賢治が締めくくったのは、実はこの〝失意の底の暗い怒りの〟裏返しであったという想いに駆られる。
詩の虚構について
 私は俳句を少しだけたしなんでいて、そこには虚構も多い。したがって、もちろん賢治の詩に虚構があるのも当然のことであり、それが責められる理由は何一つもないことも十分理解しているつもりである。
 一方で、賢治の「あすこの田はねえ」や「野の師父」そして「和風は河谷いっぱいに吹く」のこれらの詩は、それが基本的には事実を詠んでいると思っていたからこそ感動を覚えたような記憶が私にはある。しかし、立ち上がってはいないのにそれが立ち上がっているというような虚構がなされていたということを知ってしまうと、正直、その感動は以前よりかなり薄れてしまっている私であることも否定できない。
 もしこれが「永訣の朝」の場合であれば、次のような連
   おまへがたべるあめゆきをとらうとして
   わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
   このくらいみぞれのなかに飛びだした
      (あめゆじゆとてちてけんじや)

からは、あたかも賢治一人が〝あめゆき〟を取りに行ったと思われるが、事実は妹も一緒にそれを取りに行っているはずである。さりとて、このスケッチの場合にそれが真実であったとしてもそのことによってこのスケッチの感動が損なわれることは私にはない。
 がしかし、どうも「和風は河谷いっぱいに吹く」のような場合にはそのような訳にはいかない。一般に、下根子桜時代に詠んだ賢治の詩についてはそこに重大な虚構があることを知ってしまうと、少なくともそのような詩に対してはそれまでのような感動は薄れ、評価にはためらいが生じてしまう。
 だから、虚構のあった「和風は河谷いっぱいに吹く」に対してと同様に、もし〔あすこの田はねえ〕とか「稲作挿話」そして「野の師父」等に重大な虚構がもしあったとすれば、その場合の評価はそれまでのような訳にはいきそうもない。
 『阿部晁日記』によって当時の天候を知ってしまった私には今変化が起こりつつある。

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