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1859 千葉恭について(その後)

2010-11-28 08:00:00 | 賢治関連
      《1↑「岩田洋物店」(『花巻市展望』(佐藤紅歌・松田浩一共著、岩手民報社)より)》

 さて、その後も相変わらず千葉 恭に関してはいろいろとアプローチはしているのだが全く核心に近づけないでいる。
 とりあえず、その後分かったことを報告しておきたい。

1.千葉恭の年表
 まずは千葉恭の勤務先等の年表である。以前述べたことと併せて示してみる。

 明治39年12月20日(0歳) 気仙郡(大船渡市)盛町に生まれる。
 大正10年 4月(14歳)   水沢農学校入学 
 大正13年 3月(17歳)      〃   卒業
 大正13年10月(17歳)   岩手県穀物検査所花巻出張所着任、検査員
 大正14年(18歳)           〃      検査員
   ……
 昭和 4年夏        岩手県穀物検査所辞職、帰農
 昭和 5年           ?
 昭和 6年(24歳)     岩手県穀物検査所には勤務していない(帰農中?)
 昭和 7年(25歳)      ? 
 昭和 8年(26歳)     穀物検査所福岡出張所検査員
 昭和 9年(27歳)     岩手県穀物検査所黒沢尻出張所 立花、二子兼更木派出所検査員
 昭和10年(28歳)           〃                    〃
 昭和11年(29歳)           〃                    〃
 昭和12年(30歳)           〃              立花兼更木派出所検査員
   ……
 昭和21年頃       岩手県食糧管理事務所久慈支所長
 昭和23年(41歳)           〃   気仙支所長
 昭和25年(43歳)           〃   大船渡支所長
 昭和26年(44歳)           〃   江刺支所長
 昭和29年(47歳)           〃   和賀支所長
 昭和32年(50歳)           〃   東磐井支所長
 昭和34年(52歳)           〃   盛岡支所長
 昭和36年(54歳)           〃   江刺支所長
 昭和38年(56歳)           〃   退職

 なお、千葉は昭和4年に穀物検査所を辞めて帰農し、”千葉 恭の羅須地人協会寄寓1”にあったように、『家に帰って九年間百姓をしましたが体の関係から勤まらず、再び役所勤めをするようになり』ましたと語っていることから、矛盾が生ずる部分がある。
 千葉自身は『九年間百姓をしましたが』と言っているが、この年表からはその期間は長くとも昭和4年~昭和8年の5年間となるからである。
 やはり千葉に関することは盤根錯節が多い。なおこれ以外は、その後今のところ何も分からず

2.「岩田屋」とは「岩田洋物店」?
 ところで、以前”花巻市上町ぶらり”で報告したように、千葉恭が宮澤賢治に頼まれて蓄音機を売りに行ったという店の中の一つ十字屋がたしかにあったことは確認できた。
 同時に、もう一軒の岩田屋の方は存在しなかったのではなかろうかと一旦結論したのだが、実はその「岩田屋」とは岩田豊蔵(賢治の妹シゲの夫)の店「岩田洋物店」である可能性がかなり高いことが分かった。

 というのは、やはり
《2 『賢治の広場』》(平成22年11月25日撮影)

でそのヒントが得られたからだ。
 そこに陳列してあった
《3 レトロな蓄音機》(平成22年11月25日撮影)

の脇に
《4 説明プレート》(平成22年11月25日撮影)

があって、
   宮澤賢治と蓄音機・SPレコード
賢治さんは大正7年ごろ、洋楽レコードを初めて耳にした。
賢治の従弟、岩田豊蔵は自分の店(岩田洋物店)の商品の仕入れのため状況した際、ある化粧品店からワシ印の蓄音器(百円)をもらう。そのついでにレコードを安く仕入れて自分の店で売ろうと考え、「ウイリアム・テル」の続きものや、ピアノ曲など百円相当のレコードを買いこんだ。かねてから洋楽を聴きたいと願っていた豊蔵は、しばらくの間、自分ひとりでそれらのレコードを聴きながら楽しんでいたのである。それは大正7年頃であったという。たまたま店に来た賢治にレコードを聴かせたとき、西洋音楽(特に管楽器)なるものをはじめて耳にした賢治は、「これはいい、これはいい」と云って大いに喜んだ。その後も賢治は何度か岩田の店をたずね、レコードを聴かせてもらううちに、どうしてもひとりでじっくりと聴きたくなり、豊蔵に頼みこんでとうとうその蓄音器と売り物のレコードを借りてしまうのである。
 返した時はレコードはすりへっていたと言います。

と書いてあるではないか。
 大正7年頃といえば賢治は盛岡高等農林学科研究生となり、稗貫土性調査に携わっている頃だからおそらくお金もあまり持っておらず、高価である蓄音器を購入するのは難しかったはずでる。そこで採ったのであろう賢治のこの厚かましい申し出に、年下の豊蔵はおそらく参ったに違いない。まして、返されたレコードがすっかり磨り減っていたということなのでまことに気の毒である。

 ところでその豊蔵の店
《5 岩田洋物店》

   <『花巻市展望』(佐藤紅歌・松田浩一共著、岩手民報社)より)>
だが、昭和32年発行の『花巻市展望』によれば
 花巻市上町屈指の洋品類専門店で、常に絶対確実な品物のみを販売しているので、各階層の信用を博している。当主は岩田豊蔵氏で、洋画に趣味をもつている。
とのことである。

 ただし、千葉恭が蓄音器を売りに出掛けたのは昭和初期だからその頃の「岩田洋物店」の写真を探そうと思ったならば、それも「賢治の広場」に掲示してあり次のようなものだった。
《6 昭和10年代の岩田洋物店》

多分写真の左側の人物が豊蔵であり、たしかに上の写真よりはこちらの顔は若そうだ。
 なお、このプレートの説明は次のように
 大正初期、岩田洋物店は花巻においての唯一の洋品店であった。土蔵造りに店で奥深い店であったという。写真は昭和10年代の岩田洋物の店内である。子供の服装、店内の中央にある高い火鉢に当時の風俗を偲ぶことができる。
となっているが、中央の高い火鉢が見えない。

 ところが、それも容易に解決できた。「賢治の広場」に置いてあった『花巻・北上・和賀・稗貫の100年』(鎌田雅夫監修、郷土出版社)の中に解答があった。
《6 人気の洋品店(花巻市・所和初期)》

は上の写真とほぼ同じものであり、こちらには「中央の高い火鉢」が写っている。男性二人が手をかざしているのがそれである。

 さてこれで「岩田洋物店」のイメージはできたので、話を元に戻そう。
 それは千葉恭がレコードを売りに来たという店の「岩田屋」は、この「岩田洋物店」のことではないだろうかということである。

 というのは、以前”花巻市上町ぶらり”で触れた「十字屋」は、それまでは単なるお菓子屋さんだったが、昭和に入ると比較的一般家庭にも普及し出した蓄音器の販売も手がけるようになった店でもあったというから、時代に目ざといと思われる豊蔵の「岩田洋物店」でもその頃から同様に新分野に進出しようとしたと十分考えられる。
 まして、大正7年頃には豊蔵はレコードを売ろうと考えていたということであれば、蓄音器が昭和に入って次第に一般家庭にも普及してきていたということだから、豊蔵の店「岩田洋物店」でも大正末期頃から既に、レコードのみならず蓄音器も扱っていたに違いないと容易に想像できるからである。ただ残念ながら上に掲げた店内の写真には蓄音器の姿は映っていないので、本当に蓄音器を売っていたのかどうかについての疑問が残るが。
 一方、賢治も大正10年末からは郡立稗貫農学校の教員になって月給80円を貰えるようになったのだから、豊蔵から借りていた蓄音器は当然返却して自分のお金で新たに蓄音器を購入したことであろう。

 それではどうして千葉恭は「岩田洋物店」と言わずに「岩田屋」と言っているのかである。千葉は大船渡の盛町出身なので花巻についてはそれほど詳しくないはず。例えば花巻の「市野川(下駄屋)」のことは「いちの川」と書いていることなどからそれが窺える。そんな千葉のことだから、賢治は「岩田洋物店」で蓄音器を購入したということをほぼ聞き知ってはいたのだが、花巻に詳しくない千葉はその店を「岩田屋」と思い込んでいたからではなかろうか。
 
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 というわけで、「十字屋」は明らかに蓄音器を扱っていたし、「岩田屋」とは「岩田洋物店」である可能性がかなりあり、同時にこの店は蓄音器を扱っていた可能性が大だから、千葉恭が話している蓄音器を売りに行ったという2つの話(一つは「十字屋」へ、もう一つは「岩田屋」へ)は共に事実であったと充分考えられる。
 言い換えれば、宮澤賢治は大正15年頃蓄音器を2台持っていて、大正15年12月に上京する際の旅費に充てるために2台とも売ってしまった。
 つまり、
 賢治は持っていた蓄音器の一台を250円で「十字屋」に、もう一台は650円で「岩田洋物店」に買い取ってもらった。これを売りに行ったのは両方の場合とも千葉恭である。
ということになりそうだ。

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