
《翁草 》(平成29年5月19日撮影)
㈢ 賢治外回りの営業活動も開始
外回りの営業活動開始
さてダイレクトメールの発送とは別に、賢治は実際に注文取りのための営業活動「外回り」も始めた。このことについて佐藤竜一氏は、
三月四日には岩手県庁を訪れ、肥料督励官の村井光吉技師と平井重吉技手と会う。また、農業試験場技手の工藤藤一とも会っている。
工藤藤一は盛岡高等農林学校時代の後輩である。同窓の関係を頼り、営業活動に出たのだが、工藤から早速反応があった。
東北砕石工場の製品を試験した結果、農業試験場が推奨することになったという手紙が届いたのだ。
…(投稿者略)…
工藤宛のお礼を述べる手紙の中で、次のように賢治の真情が吐露されている(三月二一日付)。
…(投稿者略)…この手紙には、社会をかえようといったかつての意志は見受けられない。月給五〇円をもらい、趣味に生きられたらよいという諦観さえ感じ取れる。
<『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』(佐藤竜一著、集英社新書)130p~より>工藤藤一は盛岡高等農林学校時代の後輩である。同窓の関係を頼り、営業活動に出たのだが、工藤から早速反応があった。
東北砕石工場の製品を試験した結果、農業試験場が推奨することになったという手紙が届いたのだ。
…(投稿者略)…
工藤宛のお礼を述べる手紙の中で、次のように賢治の真情が吐露されている(三月二一日付)。
いづれにせよ工場主も割合に廉潔な直情な男で自治体に関する小著等もありもうけばかりを夢見る我利我利亡者でない点甚私とも共鳴する次第、私とてもこれから別に家庭を持つ訳でもなし月給五十を確実に得れば、あとはこの美しい岩手県を自分の庭園のやうに考へて夜は少しくセロを弾きでたらめな詩を書き本を読んでゐれば文句はないのですから、多分はこの後一般の物価が騰貴して消石灰等が相当高値になった際もこちらは労銀の僅かな差だけで略々今日の価格を維持できること 専らこれを楽しみにいたして居ります。
…(投稿者略)…この手紙には、社会をかえようといったかつての意志は見受けられない。月給五〇円をもらい、趣味に生きられたらよいという諦観さえ感じ取れる。
と論じている。たしかに、先に掲げた以下の一覧表


<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より拾い上げた>
からも、営業マン賢治は外回りを始めていたことがわかる。
下根子桜でやったような活動は意中になし
ところで、佐藤氏のこの
社会をかえようといったかつての意志は見受けられない。
という見方は手厳しい。とはいえ、おそらくそれは正鵠を射ているであろうということも最近になって私は感じ始めている。それは、以前にも一度触れたことだが、直前の一連の書簡中の、・昭和5年11月18日付菊池信一宛書簡〔282〕中の
というようなそれぞれの真情の吐露からほぼ明らかだと思うからだ。 たぶんは四月からは釜石へ水産製造の仕事へ雇はれて行くか例の石灰岩抹工場へ東磐井郡へ出るかも知れません。
・昭和5年12月7日付澤里武治宛書簡〔286〕中の 来年の三月釜石か仙台かのどちらかへ出ます。わたくしはいっそ東京と思ふのですが
・昭和6年1月12日付鈴木東藏宛書簡〔294〕中の 二月廿日より仙台にて仕事致すことと相成
・昭和6年1月15日付澤里武治宛書簡〔295〕中の 釜石行きはやめて三月から東磐井郡松川の東北砕石工場の仕事をすることになりました。月の半分は仙台へ出てゐて勉強もできる
この頃の賢治は地元に残るということは考えておらず、釜石か東磐井、はたまた仙台に行くことを、仕事も水産業あるいは工場勤めを考えていたということになるから、下根子桜に戻って同じような活動を再開することはもちろんのこと、地元に残って貧しい農民のためにまた邁進しようなどということはほとんど全く意中になかったということになろう。
つまり、
「東北砕石工場技師時代」の賢治からはもはや、「下根子桜時代」に行ったような活動を再びやってみようという気は失せていた。
と言わざるを得なかろう。したがって、同じく佐藤氏が続けて述べている
月給五〇円をもらい、趣味に生きられたらよいという諦観さえ感じ取れる。
という見方も自ずから否定しきれなくなる。前へ
。
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れ難いと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円)である。








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