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『ナーサルパナマの謎』より」の目次

〈『ナーサルパナマの謎』(入沢康夫著、書肆山田)の表紙〉 「『ナーサルパナマの謎』より」の目次 ・「どこの馬の骨ともわからぬ」私に ・入沢康夫氏より高著ご恵与 ・入沢康夫氏「馬の骨」のブログを引用 ・実は案外いい線までいっているかも ・実証的な研究姿勢 ・単純な実生活還元をゆるさない ・入沢氏の論考「仮説と実証」 ・自説についての十分な検証 ・「誠実な探究心」 ・反例がある現定説「大正15年12月 . . . 本文を読む
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「賢治昭和2年11月から約3ヶ月滞京」の目次

《賢治愛用のセロ》〈『生誕百年記念「宮沢賢治の世界」展図録』(朝日新聞社、)106p〉 現「宮澤賢治年譜」では、大正15年 「一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の沢里武治がひとり見送る」 が定説だが、残念ながらそんなことは誰一人として証言していない。 ************************************************** . . . 本文を読む
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「甚次郎と賢治の違いは何、何故」の目次

《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》 「甚次郎と賢治の違いは何、何故」の目次 ・二人の違いは何、何故? ・賢治の「訓へ」 ・大正15年、隣の紫波郡は大旱害だった ・大旱害に実は無関心だった賢治 ・松田甚次郎村へ帰る ・小作人となった甚次郎 ・甚次郎は深慮遠謀の人であった ・甚次郎等による農村劇上演 ・賢治は「農村劇をやれ」と言ったものの . . . 本文を読む
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「殆ど無視されてきた千葉恭」の目次

《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)  私が宮澤賢治に関して初めて出版した本が『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』である。  そして、この本を入沢康夫氏に謹呈したところ、〝故入沢康夫氏に感謝(A氏とは実は入沢氏のことである)〟で紹介させて頂いた様に、  これまでほとんど無視されていた千葉恭氏に、御著によって、初めて光が当たりました。伝記研究上で、画期的な業績と存じます。それ . . . 本文を読む
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「高瀬露は決っして〈悪女〉ではない」の目次

《白露草》(平成28年8月24日撮影、下根子桜) 〝高瀬露は決っして〈悪女〉ではない〟の目次 ・不自然な「一九二八年」の表記 ・思考実験〈「下根子桜訪問」自体が虚構〉 ・当時森荘已池は脚気衝心で重篤だった ・森の「下根子桜訪問」が虚構であったことの裏付け ・憤怒の〔聖女のさましてちかづけるもの〕 ・〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕 ・「変節」してしまった賢治 ・伊藤ちゑ自身はどう思っていたか . . . 本文を読む
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「甚次郎と賢治の違いは何、何故」の目次

《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》 「甚次郎と賢治の違いは何、何故」の目次 ・二人の違いは何、何故? ・賢治の「訓へ」 ・大正15年、隣の紫波郡は大旱害だった ・大旱害に実は無関心だった賢治 ・松田甚次郎村へ帰る ・小作人となった甚次郎 ・甚次郎は深慮遠謀の人であった ・甚次郎等による農村劇上演 ・賢治は「農村劇をやれ」と言ったものの . . . 本文を読む
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「八重樫賢師と宮澤賢治」の目次

《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影) 「八重樫賢師と宮澤賢治」の目次 ・八重樫賢師の命日を知る ・昭和3年「陸軍大演習」の際に作られた地図 ・賢師が逝く三ヶ月前の書簡より ・「牧民会・啄木会と賢治」(前編) ・「牧民会・啄木会と賢治」(後編) ・賢治と労農党系の活動家たち ・梅野健三と賢治について(前編) ・梅野健三と賢治について(中編) ・梅野健三と賢治について(後編) ・梅 . . . 本文を読む
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『土に叫ぶ人 松田甚次郎』ってどんな人

《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~ 作・演出 近江正人』のリーフレット》  いよいよ、花巻での公演『土に叫ぶ人』(平成31年1月27日)が明日に迫った。そこで、この松田甚次郎に関する過去の投稿を拾ってみた。 第一部 『土に叫ぶ』『宮澤賢治名作選』等  生前全国的にはほぼ無名だった宮澤賢治及びその作品を初めて全国規模で世に知らしめたのは誰か。それは、今では殆ど忘れ去られてしまっている . . . 本文を読む
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“「ガリレオと賢治研究」について”の目次

《『世界の伝記 ガリレオ』(大野進著、ぎょうせい)》 “「ガリレオと賢治研究」について”の目次 ・ジョバンニはガリレオの友人 ・あすこには〝スコラ学徒〟が沢山いる? ・ブルーノよりはかなりまし? ・『コミック版 世界の伝記 ガリレオ』 ・ガリレオの略年譜 ・ガリレオが生きていた当時の時代背景 ・「近代科学の父」ガリレオ ・同じ過ちを繰り返している ・曲学阿世の徒にはならなかったガリレオ ・ガリレオ . . . 本文を読む
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「『ベートーヴェン捏造』より」の目次

《『ベートーヴェン捏造-名プロデューサーは嘘をつく-』(かげはら史帆著、柏書房)》 「『ベートーヴェン捏造』より」の目次 ・はたして、チョロかったのか ・結局、「死人に口なし」を利用? ・賢治の伝記作家と研究家は全く違う ・「運命はこのように扉を叩く」と言った? ・名プロデューサーはこうして嘘をつく  ”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たち . . . 本文を読む
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“検証「Wikipediaの高瀬露」”の目次

《『宮澤賢治幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)》 “検証「Wikipediaの高瀬露」”の目次 ・検証「Wikipediaの高瀬露」(はじめに) ・検証「Wikipediaの高瀬露」(出典について) ・「第六章 告白する女、しりぞく男」(あやかし・前編) ・「第六章 告白する女、しりぞく男」(あやかし・後編) ・「Wikipediaの高瀬露」の「あやかし」の個所 ・出典をいじくってる? ・いい . . . 本文を読む
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◇宮澤賢治関連総合目次◇

◇宮澤賢治関連総合目次◇ ・“検証「Wikipediaの高瀬露」” ・「入沢康夫氏に感謝し、ご逝去を悼む」 ・”検証「Wikipediaの高瀬露」” ・“『宮澤賢治』(國分一太郎著)について” ・「蟷螂の斧ではありますが」 ・『「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証』 ・『「賢治学会」でもハラスメントが行われている』 ・『宮沢賢治 まことの愛』より ・『100分de名著「法華経」』より ・ . . . 本文を読む
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「入沢康夫氏に感謝し、ご逝去を悼む」の目次

〈平成30年12月6日付『岩手日報』〉 「入沢康夫氏に感謝し、ご逝去を悼む」の目次 ・入沢康夫氏のご逝去を悼む ・故入沢康夫氏からの慰めと励ましに感謝 ・故入沢康夫氏に感謝(一次資料の大切さ) ・故入沢康夫氏に感謝(真偽を自分の目で確かめる) ・故入沢康夫氏に感謝(A氏とは実は入沢氏のことである) ・故入沢康夫氏に感謝(「賢治昭和二年上京説」の支持) ・『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』 . . . 本文を読む
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「蟷螂の斧ではありますが」の目次

《「褐色のカマキリ》(平成30年11月2日撮影、イギリス海岸) 「蟷螂の斧ではありますが」の目次 第一章 著名な賢治研究家のある本によれば ・「断定」に変身する「推定」 ・「断定」に変身したことによる科 ・詩を還元してそれが事実だとは断定できない ・まるでコピペの繰り返し ・著名な人の発言は重みを持つのだから ・賢治を「菩薩」とまつりあげているのは誰? ・「デクノボ―」って何? ・「デクノボ―精神 . . . 本文を読む
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〝「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証〟の目次

《下根子桜の賢治詩碑》(平成30年年10月13日撮影) 〝「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証〟の目次 ・「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」 ・松田甚次郎の証言に従えば(検証1) ・賢治は自分で米をつくることがなかった(検証2) ・大正15年4月1日付『岩手日報』によれば(検証3) ・賢治の退任式等はなかったという事実によれば(検証4) ・大正15年の農繁期の賢治の営為によれば( . . . 本文を読む
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