goo

470 「物語岩手社会運動史」より

《創られた賢治から愛される賢治に》
「物語岩手社会運動史」より
 実際、昭和33年の3月1日から『岩手日報』に連載が開始された鈴木彦次郎の「物語岩手社会運動史」を見てみると、4月29日付のものからは「牧民会」というシリーズものが始まっている。その中から幾つかを拾い読みしてみると以下のようなこと等が載っている。
・大正9年8月2日に「牧民会主催演説会」開催(『岩手日報』、昭和33年5月17日付)
・同演説会は岩手で社会主義思想を公の場で初めて論じたものとなった(同、5月22日付)
・大正9年秋街頭進出、八幡町で『公娼廃止』の熱弁をふるう(同、5月28日付)
・会員の石川準十郎(東京啄木会を組織)や吉田弧羊等(盛岡啄木会組織)が中心となり啄木歌碑建設運動。―いわば、啄木会は、牧民会の絶好の文化工作隊の役目をつとめたのである。(同、6月4日)
・大正10年7月17日啄木記念碑建設基金募集第一回文芸講演会、牧民会員相呼応して宣伝(同、6月5日)
・啄木十周忌にあたる大正11年4月12日渋民村に建てた啄木歌碑除幕式(同、6月9日)
・歌碑建設運動は牧民会として意義深い社会運動の一端と認識―啄木の思想を継承するのは牧民会と自認(同、6月10日)
・『牧民会リーフレット』大正11年3月7日付を持って廃刊(同、6月10日)
・代わって『地下室の中より』発行(同、6月11日付)
・隠忍自重的な石川金次郎の態度に耐えられず横田忠夫ら牧民会を脱会、『地下室の中より』を発展解消して『赤旗』発行(同、6月12日付)
               <いずれも鈴木彦次郎著「物語岩手社会運動史」の中の「牧民会」より>
そして、続く昭和33年6月14日付『岩手日報』の「牧民会(三八)」は特に興味をひいた。それは、以前引用した名須川の論文の中の
 盛岡中学を退学させられた梅木文夫を中心に花巻の青年たちが、社会主義研究会を開いていたが、その青年たちが賢治を訪ねたり会合をもっていた。
に関連する記事だったからである。

 『賢治昭和三年の自宅蟄居』の仮「目次」
 続きへ
前へ 
 ”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。

 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
クリックすれば見られます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 469 賢治は「... 471 梅木文夫... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。