気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

ソフトボール

2011-10-24 21:00:41 | 昭和レトロ
そう言えば、私が高校3年間ソフトボール部に在籍していたという事、今まで書いてなかったですね。
まあ、3年間キャッチャーの補欠ですから、ろくな思い出はありません。
私が2年生の時の3年生エースは、凄い投手でした。
ライズボールという魔球みたいな球を操り、私何度、顔に当てて鼻血を出したことか…。
ブルペンでの話ですけどね。
その凄い投手が、今長野県のソフトボール協会の理事ですからね。
自身も篠ノ井高校女子ソフト部の監督で、先日の新人戦・長野県大会で優勝しています。

それはさておき、私が高校3年生に進級する時の春休み。
関東近県の高校が埼玉県に集結し、何泊かして、オープン戦をやりまくった事がありました。
今となっては、正式名称も思い出せませんが。
その時は、正捕手が故障していて、私が全試合でマスクを被りました。

千葉県の四街道高校という、前年8月に行われたインターハイで優勝したチームと対戦した時の事です。
実は、この高校のソフト部に私が中学生の頃から文通を続けていた森君という選手がいたのです。
森君の手紙で高校に入学後は、ソフト部に入部したということは知っていました。
そして、インターハイで優勝した事も新聞を見て知っていました。

中学生の頃は、私は運動音痴で帰宅部、森君は軟式野球をやっていました。
まったく、ソフトでの接点などありません。
それが、不思議なもので2人とも高校では、ソフト部に入部したんですよね。
長野県と千葉県で。
なので、まさか、この埼玉の地で、私がキャッチャー、森君がバッターで、会話をするなんて夢にも思いませんでした。
ましてや、四街道高校は全国制覇した強豪です。
もう30年も前の話なので、どんな会話(一言か二言)を交わしたかは覚えていませんが、やっぱり王者の風格はありましたね。
私ら、当時、インターハイにも行けない田舎のチームでしたから。

ソフトボール、もうその言葉に触れたくもないし、プレーもしたくありません。
でも、あの30年前の春休みの大会だけは、良い思い出として残っています。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オルフェーヴル | トップ | 野良猫 »
最新の画像もっと見る

昭和レトロ」カテゴリの最新記事