気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

なんとか1件販売

2018-06-17 20:16:00 | 保険営業
保険営業を始めて35年。
スタートは、郵便局の「簡易保険」(現かんぽ生命)でありました。
かつては、「国際優績者」「最高優績者」「営業優績者」と簡保のタイトルを沢山獲らせて頂きました。
まだ、20~30代で、やる気が漲っていましたね~。
アイデアいっぱい・行動いっぱいで、〇日連続販売達成!---なんて怖いもの知らずでした。

41歳で伊那にUターン。
選んだ仕事が、「外資系生命保険会社」へ営業社員として入社でありました。
しかし、最初の1年目こそ順風満帆でしたが、2年目以降はジリ貧。
レベルの違いを思い知らされました。

それでも、新人の頃、ある主任が会議で言った一言が、11年経った今でも忘れられません。
「お店で1ヶ月間商品が1つも売れなかったら、食べていけませんよね。保険の営業マンも一緒で、1ヶ月間0挙績はプロとして失格です!」。
生保会社時代は、その1ヶ月0挙績だけは回避しようと、約6年半・75ヶ月間、生保を販売し続けました。
6年半、地位的には殆ど最下級社員でしたが、辞める当月まで欠かさずに、最低1件は販売して来ました。
(普通は、辞める当月は翌月給料に反映しないため、販売しては駄目なのですが---)



5年前の7月1日、今の保険代理店に入社。(前日まで生保会社に在籍)
入社月に、生保の販売資格試験を受けましたが、免許が下りたのは翌月。
免許が無いのですから、この7月は仕方ありません。
そして8月16日免許が下りました。
そこから、先月まで約5年間・58ヶ月、やっぱり0挙績だけは回避しています。
ただ、50歳過ぎてから、“がむしゃら営業”というのは出来なくなりました。

そして今月、16日(土)まで生保の挙績はありません。
黄信号です。
しかし、今日の午前中にアポが入っておりました。
箕輪町まで出掛けて、がん保険のアプローチ。
決まりました!
その場で、タブレットにより契約して頂きました。
かくして、59ヶ月目も生保の販売が出来ました。

75ヶ月+59ヶ月=134ヶ月間、生保を売り続けています。


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