気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

金剛死す

2014-08-15 13:27:28 | 鶴竜・御嶽海&大相撲
私、50年間生きてきて、最も好きだった力士が「金剛正裕」でした。
その金剛の北村正裕氏が12日に脳梗塞で亡くなったというニュースがネットで流れてまいりました。
ショックもショック、大ショックな出来事です。
昭和47年頃、大相撲をテレビ観戦するようになりました。
当時の人気力士は、輪島と貴ノ花(先代)。
今では珍しい、2人同時の大関昇進なんていうこともあって、麒麟時代と持て囃されたものです。


麒麟児・金剛・青葉城の二所ノ関トリオ。十両優勝も二所ノ関部屋の天龍でした


私が贔屓になったのは、なぜか金剛です。
内股で塩を取りに行く姿は、なんとも妖艶でしたね。
そして、何よりも饒舌でした。
「ホラ吹き金剛」と異名を取るほど、報道陣に対するリップサービスは上手かったです。
その平幕・金剛が、昭和50年名古屋場所、13勝2敗で幕内最高優勝を成し遂げてしまいました。
千秋楽の相手が、鷲羽山。
私、テレビの前で金剛×鷲羽山の動きに合わせて、一緒に相撲を取っていた記憶があります。
ヒヤヒヤの一戦でしたが、金剛が勝って、大鵬以来の賜杯を二所ノ関部屋に持ち帰ったのでありました。
もし、鷲羽山に負けていたら、優勝決定戦は同部屋の青葉城と戦うことになっていました。



私の宝物は、金剛が優勝したときの相撲雑誌3冊です。
「相撲」「大相撲」「グラフNHK大相撲特集号」。
グラフNHKには、金剛×鷲羽山の実況ソノシート(杉山邦博アナ)が付録でついています。

金剛は、二所ノ関の後継お家騒動のため、27歳で引退し親方になりました。
残念ながら、親方になってからは茨の道でした。
離婚・麻雀賭博で逮捕・マネジャーの自殺・稽古中に弟子が倒れ重体・大相撲八百長騒動時の理事。
おまけに、40年近く部屋を経営していましたが、育てた子飼い幕内力士は大善のみ。
追い討ちをかけるように、定年まであと1年だというのに、一昨年の11月に脳梗塞を発症します。
そして、部屋を畳み、定年を待たずに退職(廃業)。


こんな報道の新聞も貴重な資料です


なんか、切ないですね~。
大鵬の露払いを務めた金剛が、
幕内最高優勝を飾った金剛が、
大看板の二所ノ関部屋師匠だった金剛が、
八百長問題に一生懸命対応した協会広報部長の金剛が、
こんな淋しい最期でいいのか!
娘の誕生日の8月12日、金剛の命日としても一生忘れません。

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