気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

ラッシャー木村が死んだ

2010-05-25 20:15:09 | 昭和プロレス
ラッシャー木村が亡くなったというニュースをネットで知りました。
昭和50年代のプロレス界の裏のヒーローですよ。
昭和50年代と言えば、猪木の新日本プロレスがテレビ朝日、馬場の全日本プロレスが日本テレビでそれぞれ全国ネットで放映され、メジャーな団体として君臨していました。
対して木村は、国際プロレスのエースとは言え、東京12チャンネル(現テレビ東京)という東京ローカルのテレビ中継しか持っておらず、二流外人相手に金網デスマッチを多用して独自色を出していました。
国際プロレスも旗揚げ当初はTBSで全国放映されていた時期もあったのですが、だんだん先細りしていきましたね。
50年代後半になると、国際プロレスは崩壊して、木村はあっちこっちの団体のマットに上がるようになりました。
UWFなんていう団体にも所属していましたが、どう見ても容姿が不釣り合いで、案の定すぐ退団してしまいました。
それ以降の、全日本・ノアでの木村はマイクパフォーマンスだけの前座レスラーに成り下がってしまったので、私は嫌なのです。
やっぱり、金網デスマッチの鬼のイメージです。
力道山タイツにパンチパーマ、いつも流血して迫力満点でした。
長野に興行に来たときは、見に行きましたもんね。
サインまで貰ってしまいました。
あのとき試合をしていた、サンダー杉山・グレート草津ももう故人です。
プロレスラーっていうのは、命削って試合しているんですね。

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