彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。
それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、
彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然あることと、
サラの胎の死んでいることを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、
反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
ローマ書4章 18節~22節
ミニ証し
4年前、神様から「ゴスペルクラブを開きなさい」・・・と語られました。
現状は、奏楽者はいない、歌唱指導者はいない、ただ賛美大好き、それだけでした。
祈りの中で、ゴスペルクラブは神様から来ている・・と確信し、信仰でスタートしました。
二年目、連絡がありました。それはしつこいいたずら電話にすぎませんでした。また一人来られました。マライヤキャリーのゴスペルを聞いて感動し、そのイメージを持って来られました。(-_-;)。それっきりでした。
三年が経ちましたがだれも来ませんでした。ただひたすら、ポスターを市内の各施設にをお願いしに行き、教会の姉妹とただひたすら祈ったり、賛美をしました。
四年目、新しい方々を神様は導いてくださいました。ギターの奏楽も喜んでご奉仕してくださっています。歌声を一つにして賛美しています。感謝。
この後、神様はどのように導かれるかわかりませんが、ただ信じ続け、従い続けて行きます。