道端鈴成

エッセイと書評など

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バカマンガと低能マンガ

2007年10月04日 | 言葉・芸術・デザイン
マンガを好きで良く読む。マンガは基本的にはデフォルメ、誇張である。人物は特徴をカリカチュア化して描かれるし、感情や動作も誇張して表現される。登場人物も、規格を外れているのが多い。日本マンガを代表する二人の巨匠、手塚治虫の代表的登場人物はロボット、水木しげるは妖怪である。動物が主人公のマンガも多い。ふつうの人間が出てきても、超人、低人など、恐ろしく誇張したキャラクターである。要するにマンガの登場人物は、ある種の化身なのである。

文章で同じ事をやると荒唐無稽すぎて、感情移入できなくなってしまうが、絵だと、視覚的にそこにあるというリアリティーもあって、世界がなりたってしまう。また、化身には読者と共有出来るある種の価値や考えが投影されるし、マンガ家は、作画に時間がかかるので、相当の時間をその世界の表現に没頭してすごさなくてはならない。あれだけ荒唐無稽なのにもかかわらす、マンガ世界に没入が可能なのは、この辺の事情によるのだろう。

谷口ジローの私小説、あるいはドキュメンタリー映画のような作品、高野文子の実験映像のような作品も好きだが、マンガの王道はやはり荒唐無稽のリアリティーだと思う。最近読んだのでは、三宅乱丈の「大漁!まちこ船」、山口貴由の「シグルイ」、望月峯太郎の「万祝」などが面白かった。ある種のバカマンガということになるかもしれないが、没入できるバカマンガを書くには相当な才能が必要なようだ。島木和彦の「燃えよペン」などを読むと、バカマンガにあこがれながら、離陸できないもどかしさを感ずる。

一方、社会的に重要なテーマをかかげ、賢いことを言おうとするマンガもある。手塚のように頭の良い作家がやれば、「アドルフに告ぐ」やいくつかの医療ネタの作品のように、マンガとしての面白さを保ちながら、見事にこなす。プロットの組み立てなど小説家顔負けである。楳図かずおは、「私は真悟」など大テーマで複雑なストーリーを書くと、手塚ほど頭が良くないので、プロットが破綻をきたす。しかし作品には、圧倒的な表現力と思いこみの力がこもっており、マンガとしては無視できない怪作になる。

どうしようもないのが、複雑なプロットを上首尾に組み立てる頭もなく、バカマンガの表現力もない作品だ。最近の作品では、たとえば、「ホムンクルス」「イキガミ」などがその例だ。「ホムンクルス」は始まりのトレパネーションあたりは少し面白いかと思ったが、深層心理の画像化など、陳腐でつまらない。深層心理だの精神分析だのサイエンスでも何でもないのだから、ハチャメチャに遊んでくれれば、楽しめるのだが、深刻そうな雰囲気というか語り口が、頭が悪いというかうっとうしい。「イキガミ」も状況の設定が甘すぎる。絵空事を書くのだから、もうちょっと頭を使ってほしい。結局は、安っぽい感動のヒューマンドラマのオムニバスになってしまっている。佐藤という外交評論家が、この作品に感心したようなことを話していたが、この評論家も頭が悪いのかと思った。この種の作品は、バカマンガではない。低能マンガである。

私は、バカマンガは人がなんと非難しようと好きだが、低能マンガは別だ。
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