ヨハネの手紙第一 3章11−24節
時間の合間を縫って取り組んでいる「日ごとに」(聖書同盟刊)の改訂版の制作が大詰めになりました。テーマに沿って毎日読むように組まれているので、聖書を横断的に読むための良い手引きです。
ヨハネは「互いに愛し合うべきである」とここでも書きます。それは教会にとってはまさしく初めから聞いている使信。しかし、聞くのと行うとでは大違いです。ヨハネはここで、カインを例にあげます。極端なようにも思えますが、人と人との間には憎しみやねたみが厳然とあるということを改めて考えさせる例です。「カインはひどいことをした」とここを読むと思うことでしょうが、その矛先(ほこさき)は他ならぬ自分に向けられているということに、私たちは気づく必要があります。
ヨハネはこのことばを、教会に宛てて書いています。主にある兄弟姉妹の間にカインのような問題が横たわっていたのです。同じ教会で歩むという交わりを与えられている者たちが、考え方ややり方の違いが気になって仕方がないなどということは、度々起こります。そのような者たちの心に、14節は迫ります。「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです」とのことばです。
「愛」とは自分が勝手に描くものでないということも、16節から考えさせられます。自分で決める愛ではなく、教会が決める範囲でもなく、キリストが示したこと、なさったことこそ、愛なのです。
20節の「たとえ自分の心が責めたとしても、安らかでいられます」ということばに目が留まります。この場合、自分の心が責めるとはどのようなことなのでしょう。自分の内側の声に責められることなくという意味でしょう。「神は私たちの心よりも大きな方」ということばに励まされて、自分を見、主にある兄弟を見る者でありたいと、心から願います。