マタイの福音書 27章45−56節
主イエスが十字架にかかり、死なれる箇所。
イエスは十字架で七つのことばを発せられました。マタイはその中の一つ、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」ということばを記しています。それが「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味であることも加えています。このことばは詩篇22篇のはじめにあります。これだけではなく、詩篇22篇には、イエスの十字架の出来事で成就したことばがほかにもあります。ここからも、イエスの十字架がその時の成り行きで起こってしまったのではなくて、予め備えられていた神のみこころの実現だったことを確かめることができます。
「どうしてお見捨てになったのですか」というのは絶望の叫びのように響きます。しかしそこには、ご自分を父があえて見捨ててお助けにならないことによってのみ実現する、人の救いがかかっていました。ですから主のこの叫びは、絶望の断末魔ではなくて、みことばへの信頼に基づくものだったと受け取ることができます。詩篇22篇21節には「あなたは わたしに答えてくださいました」とあります。父は御子をここで助けないことによって、御子を助けてくださったのです。そして、私たちに救いの道を開いてくださいました。
主イエスの死は、すべてを新しくするのだということが、エルサレムの神殿の幕が真っ二つに裂け、地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開きました。墓が開いて多くの聖なる人々のからだが生き返ったという記事をどのように説明するのかは難しいことですが、ここから言えるのは、イエスの死が人を死から贖い、生かすという確かな希望を与えるものだということです。
「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」というコリント人への手紙第二、5章17節のことばが浮かびます。このために、神の御子が十字架の苦しみを徹底的に受け、死にご自分を明け渡されたのです。有り難い、ことです。