ヨハネの手紙第一 5章13−21節
この手紙の終わりの部分です。
このブログでも何度か触れてきましたが、この手紙は、グノーシス主義に影響された偽りの教師たちによって揺さぶられていた教会に、人としてこの世界に来られ、十字架の上で血を流してすべての人の罪の贖いを成し遂げ、三日目に体が復活して天に上って行かれたイエスを信じる信仰を持ち続けるようにと勧めています。
ヨハネはこの手紙の終わりに、人としておいでになった神の御子イエスを信じる者が確かに知っていることを一つ一つ挙げていきます。きょうの「みことばの光」には、「偽りの教えは、彼らの確信を曇らせたようである」と書いてあります。イエスはほんとうは人間としての体を持つことはなかったとの間違った教えによって影響された人々は、自分たちが何を知っているかについて、あやふやになってしまっていたようなのです。
ヨハネは、この手紙を書いた理由を「あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、…よくわからせるため」だと言っていますいます。ここから始まって彼は、神はみこころに適う願いを聞いてくださると確信していること、とりなしの祈りが答えられること、神は神によって生まれた者を守ってくださること、イエスを信じる者が御子イエスのうちにいて守られていることなどを、ぼんやりとしていたものをはっきりと見せるようにして書いていきます。
イエスを信じて神の子どもとされるという約束は、信じる者から見たらあっけにとられるほど単純明快なことです。それはどこかに、もっと深いものがなければならないのでは…と揺さぶられやすいものをはらんでいのかもしれません。揺さぶられないで、イエスを信じて歩めとのヨハネのことばが迫ってきます。