イザヤ書 60章
スーパーの駐車場でしばし立ち話。しんしんとした寒さの中で体が冷えていくのがわかります。日が昇るのが遅く暮れるのが早い、しかもほとんど太陽が顔を出さない季節です。そんな中、25日からは当地のクリスマス・マルクト(クリスマス市)が始まります。寒く暗い季節の中での無数の光は人々を集めるように思います。
本章は「起きよ。輝け」ということばから始まります。それは、罪を贖われた神の民、新しくなったたシオンへの呼びかけです。自分たちの罪のゆえに破壊され、住む者たちの多くはバビロンに捕え移されます。
しかし、今は彼らは主の栄光を受け、それを周りに照り輝かす務めを担うのです。光の下には多くの人々が引き寄せられます。そしてそこには、考えられなかったほどの多くの富が集められ、神をあがめるために諸国の人々が上って来るのです。
光としての彼らの姿が太陽や月に取って代わられるほどのものだとまで言われているのは、驚きです。しかし、ここで繰り返されているように、彼らの光は自分たちのものではありません。主の光、栄光を輝かせているのです。それは息をのむような金銀財宝があるということによるのではなくて、主の心に適った「正しい者となる」ということによるのです。
ローマ教皇の訪日が報じられています。そして、その姿勢や生活がこれまでとは違うと注目されています。指導的な立場にある者がどのように生きるのかは周囲に影響を与えます。贖われた一人ひとりは、神によって暗い世に遣わされているのです。
「起きよ、輝け」と。