みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私より強かったのです

2019年09月03日 | サムエル記第二

サムエル記第二 22章1−25節

 外出先からの帰り道、道を間違えてインターから入れずにあちこち走っていましたら、結局元の場所に戻っていました。振り出しです。もう一度挑戦して…帰宅できました。

 この章の詩は、詩篇18篇とほとんど同じです。それでは、どちらかを読めばよいということでもありません。なぜこの詩がサムエル記の中にあるのだろうかと想像してみると、ダビデの生涯の中でこの詩を味わうようにという神からの促しを覚えるのです。

 初めの部分でダビデは、主なる神は私の…だということを頭に浮かぶありったけのことばで表そうとしています。どのことばも追いつめられた者が避難する場所です。どれほどダビデが大変なところに追い込まれていたのかをこれらのことばから知ることができます。

 そして、彼はそのような中で主を呼び求めたとき、神は彼の祈りに答えてくださり、驚くようなことをしてくださったと続けています。「主は、天を押し曲げて降りて来られた」ということばと、「主は、高い所から御手を伸ばして私を捕らえ」たということばは、偉大な神が、窮しているご自分の民のところに来てくださり、すくい上げてくださることを歌っています。

 心に留めたのは、18節の「彼らは私より強かったのです」ということば。彼らは私より強かったので、私は彼らに打ちのめされてしまったのではなく、神は私を助けてくださったのだということが大切なのだと教えられます。

 「私を強くしてください」という神への祈りがあり、私もよく、そのように祈ります。大きな課題、問題、厄介な相手、難しい病気…など、自分よりも強い「敵」のようなものが目の前にあるときに、立ちはだかっているものや人よりも強くなりたいと願い、そのように祈ります。

 けれどもこの一言は、自分が弱いことを認めることの必要を伝えています。そのようなことを思い巡らしていましたら、「私が弱いときにこそ、私は強い」というパウロのことば(Ⅱコリント12章10節)を思いました。


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