みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

気づいた時がチャンスなのに…

2019年07月10日 | マタイの福音書

マタイの福音書 21章33−46節

 きのう読んだ、21章28−32節について、お問い合わせが複数寄せられたと聖書同盟から連絡をいただきました。「お問い合わせ」というと、編集ミスをしてしまったのかと、ドキッとします。内容はいずれも、兄と弟を間違えているのではないかというものでした。確かに以前の翻訳ですと、行くと父に答えたのに行かなかったのが兄で、行かないと答えたのに行ったのが弟でした。けれども、聖書新改訳2017では兄と弟がひっくり返っているのです。欄外の注には異本の訳が紹介されていますが、これが以前の訳です。新しい翻訳聖書がより信頼できる写本に基づいた結果、このような「逆転現象」になったのでしょう。

 「何の権威によって…」と主イエスに疑問をぶつけた祭司長や長老たちとのやりとりが続きます。主イエスはさらに別のたとえを用いて、ご自分がおいでになったことと、人はどのように迎えたのかについてお話になるのです。

 45節の「気づいた」ということばに目が留まります。主イエスは彼らに、「わたしが何を話してもあなたがたは受け入れようとしないので、話さない」とはなさらずに、宗教家たちに話し続けられます。彼らは主イエスがたとえている農夫とは自分たちのことなのだと気づきます。気づいた時にどんな態度を取るかで、その人が進む道はまったく違ったものになります。気づいた時がチャンスなのです。

 彼らはどのようにしたのでしょう。イエスを捕えようとしました。イエスのことばが問題ならば、周りの人々がどのように思おうと、彼らはイエスを捕えればよかったのに、と思います。けれども彼らは群衆を恐れたのです。権力を持つ者は群衆を恐れ、群衆に媚(こ)びるというのは、昔も今も見られることです。正しいことが何かがわかっていながらも、間違った判断をしてしまうのです。

 気づいた時に主イエスの御前でひれ伏す…、このような心を持ち続けたいと願います。

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