みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

自分をほめる、神がほめる

2019年11月19日 | イザヤ書

イザヤ書 56章

 昨日から木曜日まで、南ドイツで日本語教会牧師や宣教師の集まりがあり、参加しています。プログラムの最初はいわゆる「アイスブレーク」でしょうか。一人ひとりが自己紹介を兼ねて、「今年の自分をほめる」ということをしました。「自分をほめる」ということは案外苦手なこと。自慢したり、偉ぶったりしているようにと考えてしまうからでしょうか。

 「みことばの光」が書くように、この章からイザヤ書は新しい区分に入りました。

 1−39章では、神がお選びになった民には神が求める義を行なう務めがあるのですが、罪ゆえに彼らはそれができないことが語られてきました。しかし40−55章で、罪人は神が約束された「主のしもべ」の苦難によって、神からの義を、つまり救いを得ることができることが記されます。神の恵みによる救いですね。

 そして、本章以降では、神の恵みによって救われた民はその立場にふさわしい歩みをするということが語られています。正義を行なうから神が義としてくださるのではなく、神が恵みによって義としてくださった者は正義を行う生き方をするということです。そして、ここにあるのは安息日を守るという戒め。信仰をもって神の恵みに答え、この教えが最初に来るのは、神の義をいただいた者の生活の基本がここにあるということでしょう。

 そして4節には、そのように歩む人を神が祝福してくださるとあります。神がほめてくださるのです。自分をほめることと神がほめてくださることとの間に違いがあるのだとしたら、正しく自分をほめていないということなのだろうかと考えるのですが、どうなのでしょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。