みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

語ることと行いと

2019年08月02日 | マタイの福音書

マタイの福音書 23章1−14節

 きのうの午後、隣町の美しい公園に行きました。野外ステージでは私と同じぐらいの方々が演奏をし、それを私と同じぐらいの年齢のカップルが聴いていました。カフェでは私たちと同じぐらいの二人がアイスクリームやケーキを食べながらゆったりした時を過ごしていました。私たち…ですか? 同じように過ごしました。

 23章は、イエスが弟子たちや群衆に対して、パリサイ人や律法学者たちを厳しく非難している箇所です。2節でイエスは、彼らがモーセの座についていると言っておられます。ユダヤ人の会堂の一番上位の者が座る座席のことを「モーセの座」というのだそうです。パリサイ人や律法学者たちは、自分たちをモーセの正統の後継者だとして、この席に座って律法を朗読し説き明していました。

 それは傾聴すべきことでしたので、彼らが言うことをすべて実行し守るようにとイエスは言われます。けれども、彼らの行いをまねてはならないとも続けるのです。それは、彼らは自分たちが説くことを行っていないからです。厳しい指摘です。そして、このイエスのことばは、神のことばを説き明す務めをしている者たちにとっても心に留めるべき大切なものです。

 きょうの「みことばの光」には、「みことばを教える座は人の意欲や好んで着くものではなく、自分がふさわしくない者であることとみことばを教える辛さを知った者が座るのである」とあります。牧師や宣教師、教師は神のことばを語ります。しかし、そのような務めをする者が語っていることを守り行っているかと問われたら、自信をもってハイと手を上げることのできる者は少ない、いや、いないかもしれません。

 それでも語らなければならないのだとしたら、語る者が神の前にへりくだることを通らずにはいられません。「先生」と呼ばれることや挨拶されることを心地よく思っているようでは、この務めは務まらないのだと自問させられます。

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