みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

誓願

2015年03月03日 | レビ記

レビ記 27章1−15節

 長い働きにピリオドを打とうとしている今、自分でも気がついていなかったのですが、体のほうも「ご苦労さんでしょ?」と訴えているようです。

 首の痛みで近所の整骨院にほぼ週に3回通っています。それがとても良い休息になっていて、電気をかけてもらっている間は眠ってしまいます。きのうは強すぎて「シビレ」ましたが…。最初の時「ちょっと見てみましょう」と体に触れてくださったのですが、問題の箇所がわかるようでびっくり。これで仕事をなさっているので当たり前といえば当たり前でしょうね。

 レビ記は最後の章になりました。ここは誓願についての規定。神に誓うことによって、人や持ち物が特別に聖別された関係になるということです。エフタが自分の娘をささげることになったことや、ハンナがサムエルをささげたことなどの旧約聖書の出来事を思い起こすでしょう。誓願は神の民に負わされた義務ではなくて、自主的なものなのです。そしてそれは、「みことばの光」が書くように、誓願をする人が何かの思惑をもって神との取引の手段としようとするものではありません。

 主イエスが「誓ってはならない」とお教えになったことを思い起こします。→マタイの福音書5章33−37節 それは、誓いを禁じているのではなくて、人が自分のことばを不用意にもてあそぶことをい戒めておられるのです。神に対して誓ったことばをいい加減にしながらも抜け道を設けてさも守っているかのようにふるまうのではなくて、誓ったことができなければできないと、素直に告白することの大切を覚えます。そしてまた、人と人との間が真実でありたいと願うならば、神との真実なつながりを大切に…、と思うのです。

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