みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

顔つきが答える

2019年09月13日 | イザヤ書

イザヤ書 3章

 引っ越された方のお宅で、久しぶりに聖書の会をしました。そこは、地下鉄(といってもその付近では地上を走っていますが…)の最寄り駅から歩いて20秒という、「鉄」にとってはすばらしい場所。驚いたのは、駅のそばの踏み切りには遮断機がなく、線路の向こう側に赤信号が灯っているだけだったということ。日本のように「カンカン、カンカン」という踏み切り警報音が鳴りません。目の前を通過する電車を見ながら、「おお、危なかった!」と思いました。

 1−5章はイザヤ書全体の序論にあたり、神から「希望の約束と叱責」が預言者イザヤによって届けられます。そしてここでのメッセージがどのように実行に移されていくのかが展開されています。そして分量は、叱責が希望の約束のメッセージにはるかにまさっています。それだけ、イザヤの時代が危機的な状況にあったことを語っているのでしょう。そして本章はすべてが神からの叱責、さばきのメッセージです。

 ここでは、神がエルサレムとユダから人々の支えと頼みになるものを除かれるとあります。それらが、パン、水、勇士、戦士、さばき人、預言者、占い師、長老、五十人隊の長、身分の高いもの、助言者、賢い細工人、巧みにまじないをかける者、です。時代的な背景は異なりますが、ここに並ぶものは、今の私たちも頼りにしているものではないのでしょうか。良い指導者がいなければ、国家も企業も立ち行きません。

 神はエルサレムとユダからこれらのものを除かれるのは、彼らが真に頼るべきお方、神に背を向けたからです。そして、民を守るべき者たちが自分の利益を追い求めるために、貧しい人々や弱い人々から奪い取り苦しめたのを、神はしっかり見ておられたのです。

 「彼らの顔つきがそれを表している」という9節のことばに目が留まります。いったい神は彼らをどのようにご覧になったのだろう、神の目に彼らの顔はどのように映ったのだろうかと想像します。同じお方は今のこの世界をどのように見ておられるのか、私たちの顔は時代の何を映しているのだろうかと考えます。

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