みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしの子

2020年12月16日 | ホセア書

ホセア書 11章

 当地はきょうから、ロックダウンに入りました。人との接触をできるだけ避けて感染のリスクを少なくしていくとのことですが、このような中でも誰かと繋がっているというのは、自分を保つうえで大切なことだと思うのです。

 11章からは、イスラエルを「わたしの子」と呼ぶ父なる神の熱い思いが伝わってきます。2節には「呼べば呼ぶほどますます離れて行き」とあります。親としての切なさを覚えることばです。人の成長についてここから考えました。

 人は赤ちゃんとして生まれ、長い時間をかけて自立への道をたどって行きます。そのためには小さないのちをいつくしむ存在が欠かせません。はじめは誰かに抱かれ背負われなければどこにも行けず、誰かに飲ませ食べさせてもらえなければならなかったのが、やがてハイハイをし、つかまり立ちをし、そしてついに自分の足で歩き出す…。一歩二歩、よちよちと歩けて周囲から大喜びされるのは、この時ぐらいでしょう。そして、子どもはいろいろなものを身につけ、やがて経済的にも自立するのです。

 自立へのプロセスでは、多くの場合親への反発という「現象」が起こります。親の言いなりにはならない、親のおしつけを跳ねのけるというようなことです。そんなときに親は、小さな頃はかわいかったと複雑な思いで振り返るのです。

 育ててもらいながら、育ての親の神に感謝することなく、バアルに走るイスラエル。だからといって、即座に彼らとの関係を絶つ、あるいは彼らを亡きものにしてしまうなどということは決してできない主なる神。この章には愛に応えず他のものへと愛を向けるイスラエルへの怒りとそれでも滅ぼすことはできないという愛とが交錯しています。

 それがご自分のひとり子をこの世界に遣わすことにつながるのです。ですからここには、クリスマスのメッセージが隠れているのだとして、読みました。


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