みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神のための言い分

2016年12月08日 | ヨブ記

ヨブ記 36章1−14節

 夕食のデザートにいただいたドレスデンのシュトーレンを食べました。シュトーレンはクリスマスの時期に食べられる粉砂糖が振られたパンのようなお菓子のようなものといったらよいのでしょうか。正直言うと、シュトーレンは一切れ食べたらもういい、というものだったのですが、このシュトーレンは上品で優しい味。もう一切れ食べたくなりました。

 エリフは「まだ、神のために言い分がある」とヨブに告げています。すぐ前に、「あなたが正しくても、あなたは神に何を与えようか」と述べたエリフは、このことばの誤解を避けるかのように、神が私たちに大きな関心を持っておられるのだとここで語っているのです。

 この部分でエリフの語っているのは、三人の友人のことばととても似ています。三人は、「神は私たちに関心を持っておられるのだから、ヨブよ、あなたは自分の罪を悔い改めよ」と語っているのです。しかしエリフはそうではありません。彼は、神が私たちに関心を持っておられるのだから、あなたが苦しみに会っているのを神は見過ごしておられることはない。だから、いたずらに口を大きくひろげて自分の言い分をまくし立ててはならない。神を待つようにと語っているのです。

 「神のための言い分」ということばを心に留めました。神が誤解され、正しく受け止められないときに、エリフのように「神のための言い分がある」として声を上げているのか、「仕方がないことだ」と片付けてはいないかと思うのです。


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