ヨハネの福音書 8章1−11節
インスタントカメラの印画紙をオンラインで注文、夕方にお店で受け取りました。スマホの写真は鮮明に撮れるようになりましたが、インスタントカメラはそれとは違う方向のようです。一台ずつ持って来た孫たちが、いろいろな写真を撮って楽しんでいます。
この箇所に人間の心の陰湿さが顔を出しています。イエスを殺そうとする機会をうかがっている人々が、姦淫の現場で捕えた女性をイエスの前に連れて来ました。理由はイエスを告発するためでした。
もしもイエスが、この女は確かに律法にしたがって石打にすべきだと言ったならば、取税人や罪人の側に立ってなどいないと多くの人々はイエスに失望を露にすることでしょう。一方、この女を赦すべきだとイエスが言ったならば、パリサイ人たちはイエスを律法を破る者だとしてさらに追いつめることは明らかでした。
イエスは、ご自分を訴える人々に言葉を返されました。
人は、誰かを攻撃する時にはとても勢いがあります。しかし、自分に矛先が向けられるとそうはいきません。しかし、イエスはご自分への追求をかわすために、「罪のない者が、まず…」と言われたのではありません。自分に罪がないと言いうる人は、ある方を除くと一人もいないのです。もしも、「私には罪がない」と言う人がいたら、その人はよほど自分を知らないのです。
イエスのこのことばは、すべての人に問いかけられています。私にも…。