みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

なすがままにされる王

2019年08月19日 | マタイの福音書

マタイの福音書 27章27−44節

 土曜日の午後、ドイツ語を用いて礼拝している教会、スペイン語を用いて礼拝している教会、そして日本語を用いて礼拝している教会の合同礼拝が持たれました。それぞれのことばでの祈りで始まり、一つの賛美を三つの言語で歌い、それぞれのことばで賛美をし、ドイツ語のメッセージはスペイン語と日本語に通訳され、祝祷もそれぞれの国語でささげられました。ことばの壁を越えて、キリストに会って一つなのだという思いに導かれ、印象的な礼拝でした。天の神さまの喜ぶお姿が目に浮かぶようでした。

 きょうの箇所は、イエスの十字架への最後の道をたどっています。この道は「ヴィア・ドロローサ」として覚えられています。ここを読んで、イエスがどのような仕打ちをお受けになったのかについて、動詞を拾い上げてみると、次のようになります。「脱がせ、着せた」、「頭に置き、持たせた」、「からかった」、「唾をかけ」、「頭をたたいた」、「脱がせ、…着せ、…連れ出した」、「無理やり背負わせた」、「飲ませようとした」、「十字架につけ」、「罪状書きを…頭に掲げた」、「ののしった」、「嘲った」、「ののしった」。

 主イエスは、なすがままにされているのです。この中の一つでもされたら、「何を!」とむきになるように思います。しかし主は、コレラのひどい仕打ちに何の抵抗もせず、一言の反論もせずに十字架への道をたどって行かれます。「なぜ何もなさらないのですか」と尋ねたら、イエスは何とお答えになるのでしょう。

 「…自らを低くして、死にまでも、それも十字架の死にまで従われました」というピリピ人への手紙2章8節のことばを思います。私のために…。

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