みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の前で

2019年07月18日 | サムエル記第二

サムエル記第二 6章

 来週に持たれる大きな集まりの準備が大詰めになりました。昨日は参加する皆さんにお渡しするハンドブックが仕上がり、一つの山を越えた感があります。でも、まだまだ次の山が…。

 ダビデ王が神の箱(主の箱)をダビデの町に運び上げたというのが、この箇所が記すことです。神の箱の中には、モーセがいただいた十戒を刻んだ二枚の石の板が納められ、神がそこにいると約束なさったものでした。ダビデは神の箱を置くべき所、つまりダビデの町に置こうとして動いたのです。

 ところが、神の箱を運び上げる途中で事件が起こります。牛が引く荷車の上に載せた神の箱が、牛がよろめいたためにおそらく荷車から落ちそうになったのでしょう。荷車を御していたウザが箱に手を伸ばしたところ、神の怒りに触れて死んでしまったのです。

 8節に「ダビデの心は激した」とあります。別の聖書は「ダビデも怒りに燃えた」と訳します。神の箱に手を伸ばしたウザへの怒りだったのでしょうか。ある解説には、ウザを討たれた主の不可解な仕打ちに主への怒りを覚えたとあります。なぜ! あなたをふさわしい場所にお迎えしようとしているのになぜなのでしょうか、との思いでしょうか。同時に、自分の心も深く探られたのではなかったかと想像するのです。

 3か月後、ダビデは再び神の箱をダビデの町に運び上げます。あるべき仕方で箱が運ばれ、ダビデは喜びで跳ねたり踊ったりして神の箱をダビデの町へと迎えました。この章に何度も出てくる「主の前に」ということばが心に留まります。主をお迎えする喜び、主の前に自分がある喜びをこれほど素直に、幼子のように表わすのです。

 妻のミカルはそんなダビデを見下ろし、冷笑し、ばかにします。この夫妻の間の複雑な関係を垣間見させられます。なんとひどいことば! と思うとともに、王である夫の喜びをそのようにしか見ることのできないミカルの孤独、悲しさが伝わってきます。

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