みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

2014年08月29日 | サムエル記第二
サムエル記第二 15章19?37節


 アブシャロムの謀反に遭って、ダビデはエルサレムを離れなければならなくなりました。
 ここには、ダビデと関わりのある様々な人々の態度が描かれます。
 ガテ人イタイは、ダビデと同行することを申し出て受け入れられます。「みことばの光」が書くように、やがてイタイはダビデの将軍の一人に任じられるのですが、かつては敵国だったガテ人の申し出は、わが子に裏切られたダビデにとってどんなに力になったのだろうかと、思うのです。

 神の箱を持ってダビデとともにエルサレムを出た祭司ツァドクは、ダビデの勧めに従って神の箱とともにエルサレムに戻ります。あるいはダビデには、今回の謀反はもとはといえば自分に第一の非があると思っていたからなのかもしれません。

 他方ダビデの知恵袋といわれていたアヒトフェルがアブシャロム側についてという知らせは、ダビデを震撼させます。それゆえダビデは、振り絞るようにして主に助けを祈り求めます。アヒトフェルではないかとうかがわせるような詩をダビデは歌っています。
 「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。」(詩篇41篇9節) 

 ダビデは混乱の中で友を得ます。フシャイです。聖書はフシャイを「ダビデの友」だと紹介します。事実フシャイはアブシャロム側が崩壊するきっかけを作るのです。

 辛いときや苦しいときに、いっしょにいてくれる友がいるのはさいわいなこと。「いつくしみ深き」というよく知られた讃美歌は、「いつくしみ深き 友なるイエスは」で始まります。信仰者は、主イエスが友であると確信して歩みます。きょうも…。
     

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2 コメント

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Unknown (TM)
2019-06-24 18:21:19
いつも楽しく、第一・二サムエル記の個人通読と並行してブログを読まさせていただいています。
ありがとうございます。
25と26節にある、ダビデ王と祭司ツァドクとのやり取りを読んでいて一つ思わされました。
王は神の契約の箱を敢えてエルサレムに戻すよう命じられました。そこにはあくまでもイスラエルの神を聖なる神として崇めるダビデの姿勢、自分の人間的な意図の赴くままに神様を利用しようとするのではなく、神様の御心がなるようにと祈る姿勢が見て取られるのではと。
「大事なのはどうやって神様を自分の側につけようかと問うことではなく、私自身が神様の側に立っているかと問うことである。」 確かアブラハムリンカーンの言葉だと思います。
Unknown (ぶき)
2019-06-25 05:45:35
TMさん ありがとうございます神さまのみこころを行うことを喜びとするというのは、私の求めているそれとは違うこともあるのですね。気づきを与えられて感謝します。

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