みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

くじを引いて

2022年06月15日 | ネヘミヤ記

ネヘミヤ記 11章

 昨日、この日に天に召された方の墓参をしました。いつ伺っても素敵な場所です。

 11章はエルサレムに住んだ人々のリストを記録しています。どのような人がエルサレムに住むのかは、1節にあります。まず、人々の指導者たちはこの町に住みます。それ以外の人々は10人に一人が住むのですが、それはくじによって選ばれます。

 くじを引いた結果は、「当たり」と「外れ」です。この場合、エルサレムに住むというくじを引いた10人のうちの一人にとって、それは当たりだったのだろうか、それとも外れだったのだろうかと考えてみました。

 ネヘミヤ記の流れを考えてみますと、まず、エルサレムの城壁が修復されたことを書いています。しかし、脅しや蔑み、さらには指導者ネヘミヤへの罠など、初めから数多くの妨害にさらされました。そのようななかでも、神によって支えられ城壁は完成しました。

 だからといって、周辺の人々の圧力が消えてしまったわけではないのです。エルサレムはより大きな緊張の中にあったとも言えます。ですから、人々がこの町に住むためにはよほどの覚悟が必要でした。「エルサレムに住む」というくじを引いた人は、相応のリスクを覚悟しなければなりません。

 2節に「民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな祝福した」とあります。これは、くじに当たって良かったね、ということではなくて、エルサレムに住むのはいろいろと大変なことが予想される、だからこそ、神が祝福してくださるようにという意味ではなかったかと考えます。

 「貧乏くじ」ということばがあります。引いてならないくじを引いてしまったという意味で用いられます。くじを引いて何を引いたとしても、そこに見えない神の御手、働きを認めることができたならば、それは「当たりくじ」なのではないだろうか…。


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