みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主を知ることが…地に満ちる

2019年09月21日 | イザヤ書

イザヤ書 11−12章

 あっという間の土曜日! 一緒に聖書を開いて読む喜びを、いろいろな場所で味わうことのできた週でした。

 11ー12章には「エッサイの根株から新芽が」ということばで始まる希望のメッセージが届けられます。メシア(救い主)到来の約束です。エッサイはダビデの父の名前。イザヤがこの時に預言者として働いていたのはダビデの子孫が代々王位を受け継いでいる南王国ユダです。根株ということばには、そのダビデ家の王位が木が切られるように、断たれてしまったと思われる時が来ることを示しています。

 しかし、メシアは刈り取られた根株からの新芽として来るのです。マタイの福音書のはじまりにある「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」とのことばが心に浮びます。さらに、メシアの上には主の霊がとどまると続きます。そして主の霊がとどまることが、メシアが真の王として治めるためのすべてを備えるのです。

 心に留まるのは「主を知ることが、海を覆う水のように地に満ちる」という9節のことばです。メシアが王としてこの地を治めることによって、人間ばかりでなくて神がお造りになった被造物の世界に秩序が回復されます。それが、主を知ることが地に満ちることによって実現するのです。

 今、この世界には何が満ちているのだろうか、と考えてみました。人によって関心の範囲が違いますので、一言で「これだ」ということはできません。主を知ることが地を覆っているのかというとそうではないと考えます。そして、自分自身の心は何を求めているのだろうかとも問われます。主を知ることなのだろうか、それとも他のことなのだろうか…と。 

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